一人ってのが一番辛いという話

piraです。

先々週は……まあ過去を思い出してああいった感じのブログを書きました。

まあそのきっかけとしてスタードライバーの一挙放送があったからなんですが……みんな見ました?

まあ自分は追い出されたので最初の方しか見ていなかったのですが、昔を思い出していました。

まあそうやって過去の自分にすがっていたら「お前そんなんだから一生嫌われるんだぞ」とか言われたりして……

まあ価値観のアップデートって必要だよなあと思ってはいたりするんですが、あの頃は一人で本当に辛かったし、ファイアーエムブレムという心の支えに出会ったという大きなきっかけもあったりして今でも実況ツイートは気持ち悪いと言っていたあの頃の事は時々思い出したりしています。(まあ今は実況ツイートは気持ち悪いとは思ってませんけどね!フォロワーはクズの集まりだとも思ってはいない。)

本題

さて、そんなわけで今回の本題は一人というのが最近辛いなあと思い始めていることです。

そもそも一人暮らしを始めたきっかけが「親から離れたい」という理由だったんですけど、今でも時々親が来たりしますし、逆に実家に行くということもあったりします。(米や野菜を受け取ったりというのが主ですが。)

親が定期的に家に来るということになったときに自分の中で来ないでほしいという感情とゲームをやりたいと思って親と距離を置いたのに親が来るようじゃもうゲームなんてできないなと思って、特に後者のことで連休中すごく悩んでいました。

そして一人で悩みすぎて「ゲームができないくらいなら死んだほうがいいのかな」と心のどこかで思ってしまう自分がいたりしました。(というか何をするにもやる気が起きない状態に陥っていた感じでした)

そして一人で悩み疲れていたときにふと思ったことがあり、それは「一人で抱え込んだときに人間は良くない方向へ物事を考えてしまう」ということです。

一人で抱え込むのが危ない理由

一人で抱え込むと良くない方向へ行く……というのは自分自身にも身に覚えがありますし、最近の若い人の死や薬物や酒などといった依存症にも大きく関わってくると私は思っています。

先週の予告において依存症の話をしようかなーと思ってその時に語ろうと思っていたのですが、薬物で何度か捕まっている田代まさし*1さんがかつてバリバラに出たときに好きで薬物依存になったわけではないという話をしていたことを思い出しました。

それこそ田代まさしといえば私にとって「盗撮や薬物等前科が多い人」「片翼の田代*2」などどちらかと言うと良くないイメージが多くついていたが、

全盛期の田代はテレビに売れっ子な裏で誰にも言えないストレスを抱え込んでおり、そのストレスの中で薬物が迷い込んできたと言っています。

そのときの田代は薬物が違法だということも分かっていました。しかし、今抱えるストレスから逃げるには薬物に逃げるしかなかったのだと田代の発言を聞いて思いました。

そしてこれと似たようなことって薬物以外にも考えられると思っていて、生活が悪くなるぐらい何かに依存するのも抱え込んだストレスから一人で逃げたいからなんじゃないかなと思っていたりします。

それが自分の場合はゲームとネットだったわけで、悩みを誰にも言わずSNS上でたまたま一人で悩んでいたときに迷い込んできたのがファイアーエムブレムだったが故に「FEで人生が変わった」とか他所から見たら馬鹿なことを言いつつ今でも「ニノ・フィナーレ」だのなんだの言っては界隈に迷惑をかけているわけです(笑)

そしてとにかくFEをやりたいがために家を出たりなんかして……それで今に至るわけなのですが今は家事等ゲーム以外に忙しい日々ですし、逆に家事が趣味みたいになってきているところもあって、料理や掃除を楽しみながら一人暮らしを送っていたりします。

 

若い人の死が他人事に感じなくなっている

そんなわけで今は充実した毎日を送っているわけなんですが、ちょっとでも辛いことが起きると一人の空間がものすごく怖く感じるんですよ。

静寂した空気がやけに重たく感じてしまって……

実家にいたときはそこまで辛いとは思わなかったのですが、どうしても悩みを抱えていると押しつぶされそうになる。

そんなときに先ほど言ったような何かに依存するとか悪い方向に考えてしまうのと同時に「死」というものも考えそうになってしまうことがあります。

かつて死について考えたことがあるので、その時にも語っているのですが

自分はとにかく死ぬということが怖いと考えています。

 

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 しかし、社会というものはどうしても重く辛い空気からは逃げられませんし、受け入れていかなければならないわけです。

そんなわけで一人だとその空気に押し潰されそうになってしまい、死を選んでしまうのではないかと思っています。

そして最近芸能界で増えている若い人の死などを見るとどうもストレスやコロナによる社会全体の暗い空気が原因なのではないかと思います。

そしてそのストレスや空気によって亡くなっている人達を見ていると自分もそういったストレスを一人で抱え込んでしまう傾向があり、なんだか他人事のように感じなくなるわけです。

先週に竹内結子*3さんが亡くなった時も俳優に詳しくない私でさえ、「(辛いことから逃げたいと考えるならば)他人事じゃないよな。」と思ってしまいニュースを見て涙が出てしまい怖くもなってしまって、筆を取るのも重たく感じてしまいました。

一人で抱え込むのが一番良くない

依存や死などといった悪い方向へ考えを持っていかないようにするために私なりに原因への対応を考えていったところ「一人で抱え込むのが一番良くない」と思って最近は悩み事があったらいろんなところへ相談しています。

実際今回の親の件に関しても「結局親に相談しないと分かってくれないよな」と思い親と相談して、親からは「ちゃんと生活できてるんなら(ゲーム)やってもいいんじゃない?」と言われているので、Switchは順当に行けば買うとは思います。(まあ100日後ぐらいにはなりますが)

そう思うと気持ちは楽になりましたし、相談して良かったなーと思っています。

しかし、悩んでいることがあってもなかなか相談しづらいことってありますよね。いのちの電話*4だって大事な時に繋がらないとかありますし……。

本当に辛くなったら身近な人に相談してください。SNS上でもいいですから信頼できる人に相談してください。

とにかく一人で抱え込まないようにしてください。人間一人じゃどうしても生きづらい場面出てくるので。

本当にみんなで助け合い生きていきましょう。

*1:田代まさし:日本のコメディアン。薬物依存や盗撮等前科が多いイメージがあるが、ラッツ&スターとしての音楽作品や「志村けんのバカ殿様」など多方面の活躍をしていたすごい人。

*2:片翼の田代:FF7のBGM「片翼の天使」の「セフィロス」の部分を「田代」に差し替えた空耳Flash

*3:竹内結子:日本の女優。先月27日にこの世を離れた。享年40歳。

*4:いのちの電話:孤独や不安で悩んでいる人のための電話相談ダイヤル。年中休まず24時間電話を受け付けている。本記事でも書いたが繋がらないこともあるらしい。

人生を変えたジャンルpart15:実況編

前回↓

 

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 4連休なので2本立てで普段のブログとは別に今こうして人生を変えたジャンルを書いている。

今回のテーマは「実況」

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実況……ときくと、野球やサッカーなどといったスポーツ中継の実況を思い浮かべる人も多いだろう。

しかし、ここで言う実況とは「ネットにおける実況」という話をしたい。

さて、皆さんはSNS上で番組を見ながらツイートをしている人を見たことがあるのだろうか。

まあ自分も何らかのテレビ番組を実況していたりするので、ファンの間ではこうした実況文化というものはごく当たり前のように行われている。

実は自分はかつてこうした実況ツイートに対して「気持ち悪い」といった嫌悪感を抱いていたことがある。

10年近く昔の話なので最近のフォロワーであれば自分が荒れていたころの事など、そんなに気にはしていないかもしれないが、今でもたまに「お前アニメ実況気持ち悪いと思ってたよな?」といった声をいただくことがある。

しかし、この実況ツイートに対する嫌悪感がきっかけで私は今こうして実況ツイートに対して理解を深めるまでに至っているし、荒れてた自分を助けてくれた人のおかげで人生が変わったというような経験をしていたりもする。

今回も実況との出会いの話から、自分自身が実況について考えること、そして昨今の感想を呟くということについて語っていこうと思う。

実況との出会い

私がネットにおける実況と出会ったのは2011年の初頭頃だったと思う。

当時の自分はとにかくフォロワーを増やしたいと考え、自分が好きだったポケモンの話をしている人をとにかく片っ端からフォローしていった。

そうしていく中でフォロワーが1000近くを迎えたころ、私がいつものようにTwitterを覗いていると、TLが何やら見たこともない光景になっていた。

それは毎週日曜の5時に起きており、その当時の自分にとってなにやら異様な雰囲気があったのを覚えている。

そして調べてみるとどうやら「スタードライバー」というアニメが放送されており、TLでみんながそのアニメを見ながら何やら呟いていることが分かった。

私はその当時アニメを見ていなかったこともあり、こうした光景を見ては少し怖さを覚えていた。

この光景を分かりやすく説明すると、世にも奇妙な物語にあった「ズンドコベロンチョ*1という話のようなものである。

その件があって自分はスタドラを見てみようかなーと思ったりもしたのだが、その頃にはアニメも終盤に近付いており、今から見るのは遅いと思って見るのをやめた。

アニメ実況は気持ち悪いと言い始める

それから私はスタドラの次に日曜5時に放送が始まった「青の祓魔師*2を見始めることにした。

日曜5時にアニメを見ていることはその当時の自分にとってハガレン以来だったように思われる。

そして毎週のように青の祓魔師を見ては実況をしていたのだが……

その頃にたった一人しなかった当時の友人に「お前は気持ち悪いからもう話しかけてくるな」と言われる。

そしてここから友人を失い、一人になってしまった私はゲームとネット以外にすがるものが無くなった。

そしてその頃自分は「こんな自分にかまっている奴らはみんな気持ち悪い」と考えるようになり始める。

そこから炎上目的として「アニメ実況をするオタクは気持ち悪い」と思うようになった。

FEにはまる世界線

それからというものの、毎日実況ツイートが行われるたびに「実況ツイートするオタクは気持ち悪い」とか「フォロワーは全員気持ち悪いと思ってる」とか言うようになった。

フォロワーは気持ち悪いというのはひどいと思うかもしれないが、あの当時はまっていたポケモンの配信者の影響からフォロワーを煽っていくスタイルを取っていくことが良いことだとされていた。

しかし、だんだんと人が離れていき、それが自分にとって辛く感じてくるようになった。

そうした中で辛くなった自分は「もうアニメ実況は気持ち悪いだなんて言わない」と考え、全てを受け入れることにした。

それからは「マギ」や「七つの大罪」や「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ*3といったアニメを見るようになり、日曜5時にみんなで盛り上がったりしていた。(特に鉄血のオルフェンズは毎週見てた。)

更にニチアサタイム*4にも実況に参加し、仮面ライダーを見たりしていた。(最近始まったセイバーから復帰しようと思ったが、1話が始まったのを忘れていたのでもう見ていない。)

そうして改心をした時にとあるフォロワーさんが自分に声をかけてくれた。

そしてその人が後に私がファイアーエムブレムをやるきっかけをくれた人だったのである。(人生を変えたジャンルpart1:FE編を参照。)

 

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 当時の自分はSRPGをやらず嫌い*5しており、FEもロストのイメージから怖くてやりたくないと思っていた私だったが、今ではFEをやりたいがためにSwitchを買おうか悩んでいるわけである。

今でも私は「この出来事が無かったら多分今頃FEにはまってはいなかっただろう」と思う。そのぐらいこの出来事は自分の人生の特異点のようなものであり、FEにはまらなかった世界線を生きていた可能性があったかもしれないと感じている。

ネットにおける実況について思うこと

さて、こうしたネットにおける実況を見ていて私はだんだんとこう考えるようになった。

それは「みんなで街頭のテレビを見て騒ぎ立てる」ようなものだと感じている。

テレビがまだ普及していない昭和の時代には街頭テレビに人が集まってプロレスを見たりしていたという風景が見られた。

今やテレビは一家に一台存在し、わざわざ人の家に行ったり、集まったりしてテレビを見るということは無くなったのだが、SNSを利用することでファンと繋がることが簡単になり、同じ番組を一緒に見てはその話題を共有することができるのだと感じている。

SNS上での実況はまるで茶の間という空間がネットの繋がりによって一つの大きな空間へと変化させたのだと思っている。

感想を呟くということ

 そして、実況とは別に最近は漫画誌の感想を呟く人も多い。

毎週ジャンプが発売されてはその話題がSNS上のトレンドになり、多くの人が感想を共有しあっている。

そうした光景は作者にとって喜ばしいものなのだが、一部では問題が生じている。

先週あたりからキン肉マンのネタバレというものがネット上を騒がせている。(今はあまり聞かないが。)

SNS上ではどうしてもネタバレというものは避けられない。今回の件もトレンドにキン肉マンの展開がネタバレされたような感じになってしまった。

こうした中で文字だけの感想に関しても訴訟を辞さないという考えを示した集英社側のコメントによってキン肉マンの感想を呟くことをファンは自粛するようになった。

しかし、こうした感想の共有というのは私がスタドラに興味を持った時と同じように人によってはキン肉マンに興味を持ったり、かつてキン肉マンを読んでいた人達を取り戻すきっかけになるのではないだろうか。

さいごに

人生を変えたジャンル実況編。いかがだっただろうか。

ファンが作品について語り合い、盛り上がる。

こうした光景というのは見ていて制作側は嬉しいのではないだろうか。

そして私のように異様な光景を見て気持ち悪いと思う人もいると思うかもしれないけれど、興味を持ってくれる人が現れることによりファンの拡大ができることが相乗効果を生むと私は考える。

SNS上ではネタバレがどうしても付き物だが、悪意をもったネタバレをせず感想を呟いたりテレビ番組の実況をしたりして盛り上げ続けていってほしい。

*1:ズンドコベロンチョ:この世に知らないものはないと自負する主人公が、ある日「ズンドコベロンチョ」という謎のワードを彼の身の回りの人が耳にすることを聞いて困惑してしまうという話。

*2:青の祓魔師ジャンプSQにて2009年から現在も連載されている漫画。アニメの方は2011年春に放送された。

*3:機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:2015年から2017年にかけて放送された「ガンダムシリーズ」のTV作品。細谷佳正演じるオルガ・イツカの「止まるんじゃねえぞ」が話題になりがちだけどオルガの死は当時びっくりした。なるべくなら1期から見て欲しい作品である。

*4:ニチアサタイム:テレビ朝日系において日曜朝の特撮やプリキュアが放送される時間帯。8:30~10:00までの時間。

*5:やらず嫌いしてた理由として一つのマップをクリアするのが長いというイメージがあったからである。SRPGに関してはスパロボ等をやったことがあるのだが敵を全滅したと思ったら増援がやってきたりして「これいつ終わるんだ」と感じたり、ユニットを動かすことすらめんどくさいと思ったりするぐらいであったりした。

ネットにおける感想について

priaです。

9月も半ばになり、普段のお茶の消費量からだんだんと過ごしやすい気温になってきたなーと思っています。

そして、9月半ばということで先日誕生日を迎えまして、26になりました。

今年に入り一人暮らしを始め、新たな生活が始まり、ゲームばっかしてずぼらな生活になるかと思われましたが、今では家事全般に楽しみを感じておりむしろゲーム以上に精力を注いでいます。

これからもこの安定した生活を続けていければと思います。

本題

さて、今回のテーマは「ネットにおける感想について」です。

少し前からキン肉マン*1の感想をSNS上に投稿することに対して色々な意見がみられていました。

wpb.shueisha.co.jp

問題となったのは(……ってこれ言っていいのかあれなんですけど)ある回にあるキャラクターが復活した際、そのスクショが拡散され、一時はTwitterのトレンドに載るまでになったという出来事からです。

この件に関してキン肉マンの作者であるゆでたまごの嶋田先生が「ネタバレをしないでほしい」「20ページ近い内容がスクリーンショット1枚で全部読んだように思われてしまう」といったコメントを寄せており、キン肉マンを連載している週プレNEWSから「悪質な著作権侵害、ネタバレ行為(文章によるものを含みます)に対しては、発信者情報開示請求をはじめ、刑事告訴、損害賠償請求などの法的手段を講じることもありますので、ご注意ください。」というコメントが発表され、キン肉マンの感想を呟くのは自粛せざるをえなくなりました。(実際、先週のキン肉マンにおいては話数がトレンド入りするという事態にまでなっていました。)

感想を呟くというのはファンとして「今日の漫画面白かったな」とか「今週のアニメは神回だった」とかその作品の盛り上がりを分かち合うものだと思うのですが、

このSNSの時代においてはどうしてもネタバレというものが付き物で、今回のキン肉マンに関しても「紙媒体で読んでいる読者に配慮してほしい。」というコメントが行われていました。

毎日こち亀における感想の考え方

さて、感想ツイートという点において私は今年から毎日こち亀と称してこち亀全200巻を読むことを目指しており現在190巻に到達し、終わりに近付いてきています。

こち亀はその時代のトレンドを映し出している部分があり、毎日のように「何巻にこういった話が出てきた」とか「何巻にあの商品が出てきた」とかつぶやいているのですが、そうした中で私は守り続けてきたものがあります。

それは、漫画ページのスクリーンショットを投稿しないということです。

漫画には著作権というものがあり、そのページを上げるとなると、漫画を読まなくても読めてしまうということになってしまいます。

そうした内容が読めるということは下手をしたら「私の感想だけでこち亀すべてが読めてしまう」という感覚に陥ってしまう危険性を感じていました。

私としてはこち亀を200巻全部読むというのは時間がかかるものだと思いますし、スクリーンショットだけを見てこち亀を理解するというのも斜め読みするようなものに感じています。

そして何より私の毎日こち亀をきっかけにこち亀を200巻全部読んでみようと思ってくれる人が現れたらいいなと思っています。(大変ですけどね。)

このことが先述したゆでたまご嶋田先生が恐れている「20ページ近い内容がスクリーンショット1枚で全部読んだように思われてしまう」ということに繋がるのではないでしょうか。

感想ツイートと実況文化

それこそ感想ツイートは毎週漫画誌が出るたびに盛り上がりを見せており、鬼滅の刃が少年ジャンプで連載されていたときは毎週のように「鬼滅本誌」といったワードがトレンドに入っていました。

こうした漫画誌の感想ツイートの盛り上がりを見ているとふと思うことがあります。

 それは「ネットにおける実況文化」と似ているなと思うわけです。

実況ツイートと言えば以前の私は「見ていて気持ち悪い」なんて感想を持っていたりしたのですが(まあ10年近く前の話ですけど)

現在ではテレビ番組を見ながらファンがSNS上で番組内容をリアルタイムに呟いたり、感想を呟いたりというのは当たり前になってきています。

そうした光景というのは私が思うに「昭和の時代の街頭テレビ」に近いものを感じ取れると思います。

昭和の時代というとテレビがまだ家庭に普及しておらず、人々は街頭のテレビやテレビがある家庭に集まってプロレス等のテレビを見るという光景を思い浮かべる人は多いと思います。

今はテレビはどこの家庭にもありこういった風景というのはあまり見られないのですが、SNS上で人とつながることによってみんなで同じテレビを見ている感覚というのを味わうことができるわけです。

その光景は渋谷並みに人が集まるSNS上において街頭テレビに集まる人達とわーわー騒ぎあうように見えるわけです。

キン肉マンの場合

さて、これを今回のキン肉マンの場合に当てはめてみるとどうでしょうか。

友達の中という小さな空間で語られていたキン肉マンが、インターネットという渋谷で映し出され、ファンが集まって騒ぐのは楽しいことだと思います。

しかし、スクリーンショット1枚で完結するというのは渋谷で行われている祭りをマスメディアの報道だけを真に受けてそれで満足するようなものなんじゃないかと私は考えます。

これってオタクが最も嫌っているものですよね?つまり偏向報道と同じわけなんです。

私はキン肉マンには興味ないですが、今回の話だけを読んでその回のキン肉マンを分かったようになる。これは作者が望んでいないことだと思います。

メディアによって偏向報道マシマシな渋谷の祭りの情景よりは実際に現地でお祭りを楽しむ。これが作者が求めているものなのではないでしょうか。

さいごに

私自身感想ツイート自体は悪いものではないと思いますし、ファンがネット上で感想を共有しあうというのは作者にとっても嬉しいものだと思います。

ですが、それがスクリーンショット1枚で完結するレベルのネタバレが大量に出回り本編が読まれなくなると意図しない形での解釈が生まれてしまうのではないかと思いました。

スクショだけでいいやと思わず是非本誌を毎週読んでほしいというのが今回の話なのではないでしょうか。

 

余談ですが、毎日こち亀の方はもうすぐ終わりを迎えるので最後まで見届けていただけたらと思います。

 

 

 

*1:キン肉マン週刊少年ジャンプにおいて1979年から1987年まで連載されていた漫画。2011年から週プレNEWSによるWeb連載により復活し、今年の8月から週刊プレイボーイによる紙雑誌での掲載も開始した。

人生を変えたジャンルpart14:ダンケルク編

前回↓

 

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 人生を変えたジャンル。今回のテーマは「ダンケルク

 

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2017年に公開されたクリストファー・ノーラン監督の映画作品だ。

第二次世界大戦下で起きたイギリスのダンケルクからの大撤退*1をテーマとした映画で、

本作はアカデミー賞において、作品賞、監督賞、美術賞、撮影賞、編集賞、音響編集賞、録音賞、作曲賞の8部門にノミネートされ、編集賞、録音賞、音響編集賞を受賞した。

私は当時あまり映画に詳しくなく、この映画も半ばミーハーなノリで見に行ったのだが、本作はその臨場感が映画館で見るに値するぐらいの映像経験だった。

今回もダンケルクとの出会いや、映画館での映像経験の話について語っていく。

とはいっても私自身がノーランに関してそこまで詳しいわけじゃないのであまり期待しないで読んでほしい。

ダンケルクとの出会い

私がダンケルクと出会ったのは2017年のことだった。

その当時、君の名は。に続いてヒットするであろうと思われた映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」が公開され、その上映前の宣伝として林修先生*2が本作ダンケルクの魅力を語っていた。

正直この頃の自分はダンケルクにはあまり興味が無く、基本話題になりそうな映画にしか興味が無かった。

そしてダンケルクが公開されるやいなや、ノーランファンを始め、世界史好きなど多くの人がこのダンケルクの話を始めていた。

その頃の自分はというと会社をクビになって、ニートの状態(今後通うことになる就労移行支援事業所の手続き等を進めていたので厳密に言うとニートではないが)で暇だったこともあり、「暇だし映画でも見に行くか」というノリでこのダンケルクを見に行った。

ノーラン監督の音響、映像表現

というわけでなかばミーハーなノリでダンケルクを見に行った(ダンケルクの戦いについては事前に予習はした。)わけなのだが、戦争映画を見ない(というか映画をあまり見なかった)私でもに胸に残る映画だった。

本作は戦地で戦う兵士、空で戦うパイロット、ダンケルクへ兵士を助けに行く民間人の3つの視点で話は進んでいく。

戦争映画なので私のように関心が無い人にとっては難しそうな話かもしれないが、ダンケルクは見る見るうちに映画に引き込まれて行ってしまう。

まずなんといっても映画館の音響がその迫力を伝えてくる。

戦地のシーンではとにかく銃声が大きく響き、まるで登場人物の近くにいるかのような錯覚を感じる。

そしてなにより本当に映画の中にいるかのような錯覚を感じさせるのがダンケルクを見ての感想だった。

戦地はかなり広大な海岸で、スクリーンがまるで吸い込んでくるかのようにダンケルクでの戦いを伝えてくる。紅茶とか飲みながら見てると気分はまさに戦地で逃げる兵士のようだ。

そしてこうした没入体験をさらに深くしたものがある。

それが「IMAX*3による上映」だ。ダンケルクでは、全体の7割がこのIMAX用のカメラで撮影が行われている。

通常の上映よりもスケールの広いIMAX上映はさらにダンケルクへの没入感を高めてくれることだろう。(私は普通に見たが。)

さて、私がここまでノーラン監督の音響・映像表現について語るのかというと、ダンケルクという映画は「家で見るのと(映画館で見るのとでは)比べ物にならない」からである。

私もWOWOWでたまたまダンケルクが放送されていたので録画して家のテレビで見たのだが、なんか迫力を感じなかった。

音もしょぼく、家という集中できない環境下だったからこそダンケルクはつまらないと思ってしまったのだ。

このように、映画館だからこその没入感を感じられた映画だったと私は思ってしまった。 

「TENET/テネット」公開

そんなクリストファー・ノーラン監督の最新作「TENET/テネット」が9月18日に日本で公開される。

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本来ならば夏公開の映画だったのだが、2か月遅れての公開という形になる。今年公開の映画は延期が多く、最近ではディズニー映画の「ムーラン」*4が、Disney+での限定配信という形で日の目を見ることになったりもした。時節柄もあり映画館へ行くことはなるべく控えるべきだと思うが、私はTENETに関してダンケルクを見たときに感じた経験があるからこそノーラン監督の作品は映画館で見ることを強くおすすめしたい。

私もこの4連休中にTENETを見に行こうと思っている。2020年初めての映画館はちょっと変わった経験をすることになるとは思うが、TENETを映画館で見るということは家で見るよりも貴重な経験になると私は思う。

もちろん過去のノーラン監督作品もNetflix等の動画配信サービスで見ることが可能だ。

ちょっと前には映画館で過去作の上映もあったりしたのだが、予習がてらに過去作の復習をしてから映画館へ行くというのもありだろう。

とはいうものの新型コロナウイルスには是非気を付けた上で見に行ってほしい。

そうはいっても映画館でしか本物のノーランは味わえないと思っているので、ノーラン監督作品は映画館で見ることに価値がある。(とは言いつつ初インセプションはネトフリで見てる私であった。)

さいごに

というわけで「ダンケルク編」は以上となる。

今回は映画にあまり深くは触れなかったが、映像体験というのは人生を変えるものになると私は思っている。

映像や音響といったものは映画館のスクリーンで見ることが一番迫力を感じることができる。

そして映画館で見た映画というのは胸に強く響き、家で同じ映画を見に行くときも映画館へ行った時のことというのが蘇る。

私は映画館でしか味わえない経験を味わうのも映画の一つの醍醐味なのではないかと思っている。

*1:ダンケルクからの撤退:本作戦は、9日間でフランスのダンケルクからイギリス兵が様々な貨物船、漁船、民間船を利用して撤退を行った。この史実をきっかけに団結して逆境を乗り越えることを意味する「ダンケルクスピリット」という言葉が生まれたりもしている。

*2:林修東進ハイスクールの講師。「いつやるか?今でしょ。」という台詞が話題となり、今では事務所所属のタレントとして冠番組をいくつか持っている。

*3:IMAX:通常の映画とは異なる大きなサイズでの映画撮影が行える。

*4:ムーラン:「シンデレラ」や「美女と野獣」「アラジン」に続くディズニープリンセスの実写化として春に公開される予定だった。

夏の終わり2020(はてなブログ ver.)

ドクターペッパーを飲みながら)

あれ、今カメラ回ってる?

あー、あー、あー……

音も入っているな。いやー緊張してくるな毎年毎年……

すー、はー、すー、はー

……よし。そろそろ始めようか。

 

 

 

DP?いいえ、OP

どうも、piraです。

今週も先週に引き続き、選ばれし者の知的飲料「ドクターペッパー」を飲みながらブログをお届けしています。

いやーあれからほぼ毎日ドクペと同棲しているのですが、管理が大変ですね。

この前は冷蔵庫の温度設定をミスって1本凍死させてしまいましたし……

貴重な叡智の結晶を失ってしまったと感じました。

その一方で本場アメリカの方ではドクターペッパーがコロナ禍で品薄状態になっているなど

叡智を求める人の群れであふれかえっているなーと思います。

本題

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0c/Nittele_24Hour_Television_logo.svg/1200px-Nittele_24Hour_Television_logo.svg.png

さて、本題に入りましょうか。

2020年8月22日から23日は24時間テレビがあります。

今年は新型コロナウイルスの影響であらゆるイベントや特番が中止や延期になったりしているのですが、テレビ局曰く「(24時間テレビは)やらないといけないという使命感を持っている」とのことで、今年も行われるそうです。

まあ正直なところ毎年毎年同じような話をするのもどうかなーと思うのですが、この日が来るたび私が言いたいことがあって、

それは、「24時間テレビの時だけみんな騒ぎすぎじゃない?」ということです。

というのも24時間テレビと聞くと「障害者とか震災の被災者とかそういった人たちを救うためのチャリティー番組だ。」「毎年行われるチャリティーラソンサライを見て夏の終わりを迎えるのが風物詩だ。」と思う人もいる一方、ネット民の多くは「あーまた偽善の番組やってるよ。今年もいくらかギャラが払われてるんだろ。」「こんな感動ポルノなんか見るよりは裏でやってるバリバラ見るほうがええわ。あとハートネット見た方がまし。」とかどうせ見もしない癖に「こんな番組なんかより東京パラリンピック放送しろ。(もし東京パラリンピックが今年開催されていたら言われていただろう。)」だのと言った不毛な争いが毎年行われては正直胃が痛い思いをします。

そして私自身この時期のネットを見ていて思うのが「お前らアンチ24時間テレビも結局は24時間テレビの時だけしか障害者に目を向けてないじゃねえかよ」というのと「偽善だのなんだの言ってるけど、変に偏った情報を鵜呑みにして叩きたいだけなんじゃない?」ということです。

今年はアンチ24時間テレビに対して正直色々言いたいことがあるので、その方面の人について思うことを書いていこうと思います。(まあ毎年言ってること変わらないと思うけど)

24時間テレビにギャラが支払われてるって本当?

まず、24時間テレビが偽善だと批判される一つの要因である「お金」の話をします。

24時間テレビといえば毎年行われる募金のイメージがありますよね。

「今年は〇〇億集まった」とかというのも番組の最後に発表されたりします。

さて、そんな募金の使い道なのですが、多くの人は「出演者へのギャラ」として支払われているという噂を信じている人が多いです。

実際ネット記事とかを見るとある有名人が「24時間テレビにおけるギャラ」の話をしていたりするので、裏では本当にそういうことが行われているのかもしれないと思うかもしれません。

とは言うものの、実際ギャラが支払われているかどうかというのは関係者しかわからない話で、本当のことは分かりません。はい。

また、「募金箱は金が抜かれている」とか「取材を断ったら捨て台詞をはかれた」というのもネットで出回る話だったりするのですが、正直ネット上で転がっているそういったエッセイ話ってのはバズ目的がメインだったりして信憑性に欠けるので、本当のところは怪しいです。

しかし、こういった偏った情報というのはアンチには格好の的であり、かえって拡大解釈されてしまっていて、「チャリティーなんだからノーギャラでやれ」とか「募金額以上に出演者へギャラが支払われている」とか言われていたりします。

こういった批判的な情報に対して疑う目を持たずに一方だけを信じると間違った知識が正しい知識になってしまう気がします。

私がそう思うきっかけとなったのがオタクの間で今なお語られる宮崎勤事件*1というのがあるのですが、その当時コミケの取材に来ていたあるアナウンサー(S氏)が「ここに10万人の宮崎勤がいます!」と発言したことが語られるが実際そのような報道はなく、アナウンサー(S氏)とマスメディア叩きのためにオタクが歴史を改変したんじゃないかと思うようなガセ雑学を杉村喜光さんが紹介していました。

 

これをみて「批判的な情報は(そうした情報を好意的にとらえる人にとって)彼らが望む方向へ解釈される」と思いました。実際その当時のオタクバッシングを知る人達や今なお偏見の目で見られるオタク達にとってそういった情報はマスメディア嫌いの原因を作るきっかけとしてはいいものだと思いますし。閑話休題

じゃあ「募金額はどう使われてるの?」という話なのですが、よく目にするのがリフト付きバスといった福祉車両電動車いす環境保護、震災や豪雨で被災した地域への復興支援に使われます。

また、最近では新型コロナウイルスへの対応として、福祉施設にマスクを寄贈したりなんかといったものも紹介されていました。(たまたまやってた24時間テレビの特番で紹介されていた。)

しかし、前述した偏ったマイナスイメージのせいか、こうした善意ある活動に対して「偽善」だと考えてる人は多いです。

実際、24時間テレビ福祉車両は偽善でできた車(偽善車というべきかな?)と考えている人も中にはいます。

こういった感想を見るたびに「善意あって募金している人達もいるのに……」と感じずにはいられません。

去年も語ったのですが、こういった善意ある募金を偽善といって否定するのは募金をした人に対して失礼ですし、Win-Winで成り立っている24時間テレビの取り組みを全否定するのも間違いではないかと思っています。

そしてそういった人たちこそ普段障害者について考えていない様子を見ていると「偽善だと言って否定している人達の方が余程偽善的なんじゃないか」と私は思いますね。

「感動ポルノ」や「努力信仰」について

そして24時間テレビというと近年では「感動ポルノ」という単語がよく耳にされ、「障害者を感動の道具にするな」というのもよく言われますが、「障害者の感動ドキュメンタリーばかりが注目されすぎていないか?」と思っています。

それこそ「感動ポルノ」という言葉がただただ独り歩きしてしまっていて、障害者を感動のための道具にするなみたいに考えている人は多いんですよ。そして「24時間テレビは障害者でお涙頂戴するのはやめろ」と言う人は多い。

実際24時間テレビは普段目にされない障害者が注目されることは間違ってはいないのですが、最近の24時間テレビって障害者だけではなく震災の話なんかもあったりしてそれこそ「24時間テレビ=障害者の感動ポルノ」というのも普段見ていないからこそこうしたイメージだけで語っているような気がします。

そして「障害者と感動を結び付けるな」という考えもおかしくて、感動ポルノが嫌いと言っている人達は障害者の感動ポルノだけを批判している印象が私の中にあります。

それこそ日本人って感動や努力といった言葉が好きですよね。

夏の甲子園もそうですし、東京オリンピックもそうですしとにかく感動エピソードを欲したがる。

最近だと映画の「ベイマックス*2が感動モノかと思ったらバリバリのヒーロー映画だったりとまあ日本人ってとにかく感動話が好きで……正直うんざりすると考える人は多いと思います。

しかし、24時間テレビを感動ポルノと言っている人達というのは24時間テレビを批判したいから感動ポルノという言葉を使っているように見えます。単に感動話が嫌いだというなら日本に蔓延る感動系の話は耳にしない方がいいと思います。

それと同時に日本は努力信仰が強いですよね。これは要するに「頑張った奴は報われる。だからお前も頑張れ。」という考えがどうしてもあると思います。

実際自分も今こうして一人暮らししてMOTHER*3してるのも努力のおかげだと感じてはいます。

とはいうものの他人から「頑張れ頑張れ」と鞭を打たれるのはそれは痛いわけで、努力って自分の力の範囲で行うべきだと思うんです。24時間テレビのような企画って自分の力以上の努力を彼ら(障害者)に要求するわけだから批判されるわけなんですよね。

もちろん疲れるぐらいに頑張るのは大変ですけど、逆に一切努力しないのは自分の伸びしろを自分から潰しているわけですし、勿体ないと思う反面怠け続けてる姿を見ると「(障害で)生きづらいとか言っているくせして対策考えてねえじゃねえかよ」と思うわけです。

だから「(障害者だからって)頑張れって言ってくる奴らうるさいから俺は一切頑張らない。」と考えるのも違うわけで、自分の出来る範囲の努力というのは必要だと私は思います。

そして頑張っている人達を妬むのもやめて欲しいです。発達障害者で一人暮らししてるって言うと嫉妬の対象になりそうで怖いですし、こっちも普通の生活を送りたいと思ってるしもっと言うなら恋愛もしたいし結婚もしたい。家庭も持ちたい。

そういった人たちの頑張りを「自分は障害のせいで生きづらい思いしてるんだから同じ苦しみを味わえ」みたいな顔して嫉妬するのもされる側は嫌な思いをしています。

24時間テレビVSバリバラ」という対立構造について思うこと

そして、これはブログ等で何度も言っていることなのですが、「バリバラがこの日だけ持ち上げられるのもなんか違うな」と思っています。

毎年24時間テレビに合わせるようにバリバラが放送されるわけで、アンチ24時間テレビの人たちは毎年バリバラを見ています。

元々「バリバラ」が裏に充ててくるようになったのはレギュラー放送の時間帯が日曜7時のゴールデンタイムということもあって時間帯的にいつもの時間帯だからやれることだと思います。(去年と今年が深夜帯なのも本来再放送の時間帯であるからそういう時間帯になっていると思う。)

まあ見る番組が無いからバリバラを見てるという人もいると思いますが、最近は「24時間テレビの裏番組」として見られていて毎年この時期になると話題に上がります。

24時間テレビに批判的な声を上げる。それこそ「障害者=感動」というステレオタイプに対抗するという姿勢はアンチ24時間テレビに対して称賛されるものだとは思います。そしてそういったマスメディアが作ったステレオタイプの否定は今までないだけあって「攻めてる」という印象を持たれアンチの好感を得ていると思います。

しかし、バリバラ側はこうした対立構造を望んでおらず「VSではなくWith。障害者について一緒に考えていこう。」というスタンスで毎年裏で放送をしています。

とは言うものの最近のバリバラの毎年の盛り上がりぐらいを見ると「24時間テレビVSバリバラ」という構造を彼らが作っているんじゃないかなと思います。

むしろ私は毎年24時間テレビに合わせてくるバリバラに対して「バリバラはアンチ24時間テレビの受け皿として機能している」と思うし、そうしたアンチ24時間テレビの人達の感情を煽るために放送されており、番組制作側もそれを意識しているのではないかと考えています。(実際「やらないといけないという使命感を持っている」という発言に対しても対立を煽るようなツイートをしていたりします。)

 

一方普段のバリバラって攻めてる企画はよくやりますが、24時間テレビ以上に真面目に障害者との生活に向き合う回もあったりします。(障害者と戦争の話とか障害者がキャッシュレス決済を利用する回とかは良かった。)

そして勉強になる回も多く場面緘黙症とかトゥレット症候群とかHSPとかといった精神障害をこの番組で知りましたし、最近はBLM*4の話とかもやっていたりしました。

しかしバリバラは毎週放送されているのに対してどうもアンチ24時間テレビの人達というのは福祉番組に興味が無いんですよね。(実際去年はNHKの福祉番組が解体の危機にあるということも伝えましたし。)

そして去年にはその件について怒ったりもしました。

 

pira365.hatenablog.com

 

それにも関わらずアンチ24時間テレビの人たちがこの時期によくあげる声として「24時間テレビよりバリバラやハートネットTVを見た方が障害者の理解が深まりますよ。」とか「パラリンピック放送しろ」とか言うのでこういった人たちを見ると「障害者のこと分かってますよアピールもいい加減にしろ。」と言いたくなります。

そう言っている君たちほど普段障害者について考えず、物忘れの多い人や衝動的な人をADHD*5認定してしまったり、ネットの素人目な発達障害診断とかを信じてしまう人が多いと思います。

そして、こういうときだけ騒いでいる人たちを見るたびに「この日だけ障害者について分かったつもりになってんじゃねえよ。」と思いますし、そこまで言うなら毎週バリバラやハートネット見ろよと言いたくなります。(だからこそ私は毎週バリバラを見てはみんな見ろと言っています。)

「バリバラ桜を見る会

そしてバリバラといえば今年は春に「バリバラ桜を見る会」というのが放送されてまあこれも「攻めてる」って言われて変な方向で盛り上がっていましたね。

これに関してはnoteにまとめているのでそちらを見ていただければありがたいのですが、実際このバリバラで注目されたのって「マイノリティについて」ではなく「安倍や麻生に扮した物まね芸人が政権批判していたこと」のように思われます。

note.com

実際この回のバリバラについてよーく考えてみると政権批判ではなくマイノリティの活躍やマイノリティに対する発言が主だったと思いました。

実際安倍や麻生に扮した芸人を出して政権批判をしたり、障害者に出席簿をシュレッダーにかけるといったようなのは左派の支持を集めたとはいえ本来はそういった方向で見られるべきものじゃなかったと思いますし、そういったことしなくても「この1年マイノリティに関してこういった動きがあったよね」という話で良かったはずなのですが

かえって普段見ていない左派が「バリバラ攻めてる」と言い始めて「24時間テレビの時だけバリバラ持ち上げてる奴らと変わんねえな」と思いました。

そういう人たちがいる限り障害者は政権批判や感動ポルノ批判のために障害者というカテゴリで利用され左派やアンチ24時間テレビに持ち上げられるんだろうなぁ……と感じました。

それぐらいみんな普段障害者のことなんか考えておらず、この回も「政権批判したから盛り上がった」と思うしかありません。(実際この翌週のバリバラも雲泥の差と言わんばかりの盛り上がり具合でした。)

心の中の優性思想

そして最後に毎年この時期に普段目にしない障害者について騒がれるのは24時間テレビがあるからというのもあるのですが、アンチ24時間テレビの人達がこの日だけ騒ぐくせに普段障害者について考えないのも「障害者のことは見たり触れたりしてはいけない」という優性思想に近い考えがあるからではないかと私は思います。

実際私も発達障害者として生きている身ではありますが、肩身が狭い思いしてますし、あまり人に障害者だと言いたくないという感情はあります。

また福祉番組を見るようになったのも発達障害者になってからだったりしますし、そういった世界というのは触れてはいけないものと教わってきました。

とはいうものの、「アンチ24時間テレビがこの時期だけ騒ぐのも24時間テレビを見ている人達と変わらないよな。」という思いが彼らの福祉への関心のなさと、バリバラの視聴者層から思うようになっていました。

しかし、障害者に普段から目を向けるということは心の中の優性思想が邪魔をして「触れてはいけない」と考えてしまうかもしれません。

しかし、「障害者について理解する」と思うのであればそういった優性思想は今すぐ取り払ってください。

そういった優性思想が働いて「障害者は触れてはいけない」と思いつつ24時間テレビが放送されるたびに「偽善だ偽善だ」というなら実際に行動してほしいです。あと善意をもって募金してる達をただ騒いで批判するのやめてほしいです。

以上で本論文は終わりとなります。

長くなりましたが、ご清聴ありがとうございました。

*1:宮崎勤:1988年から1989年にかけて4人の幼女を誘拐した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の被疑者。アニメや漫画を多数所持していたことがマスコミによるオタクバッシングを引き起こし、今なおオタクの間ではアニメ等に対するマスコミ報道への批判のきっかけとなる事件でもある。

*2:ベイマックス:2014年公開のディズニー映画。ぷにぷにふわふわなベイマックスと天才科学少年ヒロのハートフルストーリーとして当時宣伝された

*3:MOTHER:ここで言うMOTHERとはゲームのMOTHERのことではなく、家事を頑張ってやっている姿を「お母さんになった」と感じた自分をMOTHERと表現している。

*4:BLM:Black Lives Matterの略。アフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイド氏がアメリカの白人警官に射殺された事件を受けて世界中で黒人差別を考える運動として活動が行われている。とはいえ最近では過激なBLM運動が問題視されていたりする。

*5:ADHD発達障害の一つ。「注意欠陥・多動性障害」のこと。不注意や衝動性などといった症状が良く見られる症状として挙げられ、しばしば誤解をされやすい障害である。実際ADHDの診断は専門医にしてもらうことをお勧めする。

チーズ牛丼とオタクの容姿

piraです。

8月10日。気が付いたら一人暮らしをしてもう1か月がたっているんですね。

家事も板についてきましたし、だんだんMOTHERに近付いてきていると感じる今日この頃です。

さて、そんな我が家なのですがこの度新しいお友達がやってきまして

それがこちら。「ドクターペッパー*1 1ケース」

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選ばれし者の知的飲料

叡智溢れるブログにしていくにはドクペを飲みながら書くのがいいと思ったので箱買いしてみました。

本題

さて、選ばれしものの知的飲料を飲みながらお届けする今回は、「チーズ牛丼とオタクの容姿」についての話をします。

チーズ牛丼とは、どこにでもいるような顔をした人が「三種のチーズ牛丼特盛に温玉をトッピング」という注文をしている画像から生まれたネットスラングです。(あまり載せたくないので画像は各自で調べてください。)

この画像は割と昔からあったそうで、作者が自虐的に描いた自画像だと言われています。

それがここ最近になって、オタクの間でこのチーズ牛丼の画像が自虐のネタとして使われ始めるようになりました。(ちなみに俺的流行語大賞2019にもチーズ牛丼はノミネートされていたりします。)

そして、チーズ牛丼(略してチー牛)はオタクの顔に対する蔑称となりはじめて、ちょっと前にセガの偉い人が「チーズ牛丼食ってそう」って言ったことが炎上して話題になっていました。

昔から顔を否定されてきた私はこのチーズ牛丼の画像を見たときに自分の容姿を否定されているように感じてきてしまっていつしかチーズ牛丼の画像を見ることに対して嫌気が出てきていました。

発達障害者の容姿

このチーズ牛丼というワードが蔑称として広まった経緯というのも正直頂けないなと思っていて、実は最初はオタクへの蔑称として使われたわけではないんですよね。

というのもこれは2chのスレにおいて「就労移行支援事業所*2を利用している人の顔はみんなチーズ牛丼」という書き込みがきっかけだと言われています。(ピクシブ百科事典にも経緯として紹介されています。)

dic.pixiv.net

実際この事実、通所経験のある私から言わせてもらうと否定はしないし、なんなら私もチーズ牛丼顔なのですが明らかに差別的なんですよね。

まず、社会復帰しようと訓練している人達に対して失礼だしそれこそ容姿を気にしている人だっているわけで、発達障害でチーズ牛丼食ってそうなオタクとかアニメイト*3で買い物したことないのにアニメイト行ってそうとか言われるとpiraの呼吸・弐ノ型「憤怒」とか思っちゃうわけですよ。

とは言うものの当時の反響ではネットの発達界隈では画像を見て同じだと思う人は多かったみたいです。

そしていつしかオタクや発達障害者を指すワードとして「チーズ牛丼」が使われ始めて

一般に浸透してしまった今となっては嫌だなと感じたりします。

オタクの容姿

しかし、チーズ牛丼についてじっくり考えてみると「オタクって結構容姿を自虐するよね」と思ったりもしています。

例えば少し前に「オタクはチェック柄のシャツを着がち」というのが話題になりました。

その時もチーズ牛丼のように容姿を気にしがちな私は「チェック柄のシャツあまり着たくないなー」とか思ったりもしましたが、チーズ牛丼ほど蔑称として使われずオタク同士が自虐として容姿をネタにしていたような気がします。

そして容姿とは関係ないですが、魔剤*4ストロングゼロ*5を飲んで二郎を食べて優勝みたいな他所から見たら「キモッ」って思うようなオタクの姿も、オタク同士で使いあっていたからこそ面白みがあったと思います。

しかし、オタク同士の自虐として使われていたチーズ牛丼も全くの他人から容姿の否定として使われ始めるとなると怒りたくなります。

それこそオタクや発達障害者への差別的表現となってしまったのはちょっと考え直してほしいなと思っています。

最後に私はチーズが苦手なのですき家に行くと大抵普通の牛丼の大盛かキムチ牛丼を食べるんですけどね。

今回のブログは以上です。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

予告

新型コロナウイルスが蔓延するこの2020年。

やらなければならないというテレビ局の謎の使命感の下

今年もあの夏がやってくる。

弱きものに目を向け、情けをかける者……

その一方で感動、努力といったワードに対し悲鳴をあげる者……

ドクペを飲みながらpiraはその先に何を見るのか。

次回「夏の終わり2020」

この次も、サービスサービスゥ♪

 

 

 

*1:ドクターペッパー:1885年にアメリカで発売された炭酸飲料。日本ではコカ・コーラ社が販売しており独特な味わいから好みが分かれやすい飲み物である。近年ではアニメ化もされたゲーム「シュタインズ・ゲート」において厨二病な主人公が好んで飲んでいたことが話題になったりした。

*2:就労移行支援事業所:一般就労を目的とした障害者への職業訓練施設。

*3:アニメイト:アニメ・コミック・ゲームの関連グッズを専門に売っているお店。

*4:魔剤:エナジードリンクモンスターエナジー」の愛称。

*5:ストロングゼロサントリーから発売されているアルコール度数9%のストロング系チューハイ。すぐ酔えることで支持を集めている。

人生を変えたジャンルpart13:モンスターエナジー編

前回↓

 

pira365.hatenablog.com

 

新居に移ったりコロナが終息したかと思ったら第一波以上に酷い第二波がやってきたりと

まあ色々なことがあって、久々になったこの「人生を変えたジャンル」

今回のテーマは「モンスターエナジー

https://fontmeme.com/images/Monster-Energy-Logo.jpg

アメリカで生まれ、世界中で一大ブームを起こしているエナジードリンクだ。

日本には2012年からアサヒ飲料が販売をしており、「モンエナ」や「魔剤」などといった愛称で陽キャからオタクまで幅広い層で支持を集めている。

そしてこの私もモンエナ愛飲者の一人である。(週に3本近くは飲んでおり、二連魔剤*1をキメたりするぐらいには飲む。)

そんなエナジードリンク業界は日本において近年市場争いが激しい分野であり、

コカ・コーラエナジードリンク感が強めのコカ・コーラとして「コカ・コーラエナジー」を販売したり、サントリーも近年盛り上がりを見せているe-Sportsユーザーをターゲットとしたようなデザインの「ZONe」を販売したりと人気を集めている。また最近では車会社のフェラーリなんかもエナジードリンクを出してみたりと飲料市場において注目が集まっているジャンルといえよう。

今回もそんなモンスターエナジーとの出会いと、数あるエナジードリンクの中でなぜここまでモンスターエナジーを愛するのかについていつものように語っていく。世界中のアスリートやミュージシャン、そして世界中のMonsterファンが熱狂するワケをこのブログから実感してほしい。

 エナジードリンクとの出会い

いつものようにモンスターエナジーとの出会いについて語っていこうかと思ったが、まずはじめに私とエナジードリンクとの出会いについて語る。

私がエナジードリンクと出会ったのは高校に入ってからのことである。

高校に入ると、校内には自動販売機に置いてあって100円~150円ぐらいの価格で飲み物を買うことができた。

そんな自販機の中で210円という高めの値段設定がされた飲み物があった。

それが「レッドブル」である。

https://stat.ameba.jp/user_images/20170813/18/kendigit/3b/4d/j/o1024068014004164021.jpg?caw=800

 モンスターエナジーと並んで有名なエナジードリンクであるこのレッドブルは210円という値段とエナジードリンクに対する健康へのイメージから「高校生には高くて買えない」とか「毎日飲まない方がいいよな」などといった印象を与え、高校時代にはその自販機で一度もレッドブルを飲まず、ウメハラの影響でペプシコーラを飲むような生活を送っていて、同級生に変な目で見られるぐらいにはペプシコーラを飲んでいた。

モンスターエナジーとの出会い

そんなこんなでエナジードリンクに対してあまり良い印象を持たなかった私だったが、2012年に奴らが日本に上陸する。

モンスターエナジー」と「モンスターカオス」この2種類が日本にやってきたのだ。

エナジードリンクに対して良い印象を持たなかった私だったが、初めてモンスターを見たときは、缶に書かれた爪痕のフォルム、モンスターの紹介文。これらの厨二的要素に魅了され、ついにエナジードリンクに手を出すのであった。

とは言うものの高校時代の小遣いは月3000円ぐらいということもあり、確かそこまで飲んだ記憶はない。1回飲んだらこんなものかみたいに思っていたりした。

私がモンスターを良く飲むようになったのは大学に入ってからだったように思われる。

 大学生になると音ゲーとモンスターを嗜むオタクになってしまって、それと同時期に発売された白モンエナこと「モンスターウルトラ」にはまっていた。

そして、モンスターを飲むことに対して「かっこいい」とか「力がみなぎる」とか思うようになったり、特別な日やここぞというときの勝負に向かうときについ飲むようになってしまった。機運*2を高めるとか言い始めたのも確かこの辺りだったはずである。

それからは週に1回はモンスターを飲むようになり、今じゃ健康とか気にせずに飲んでしまっていたりする。(それ故にモンエナ禁を考えなきゃいけないと思っていたりするのだが。)

モンスターエナジーが好きな理由

さて、数あるエナジードリンクの中でも私がなぜモンスターエナジーが好きなのか。

厨二っぽいからというのも一つの理由だが、私は「コスパが丁度いい」と思っている。

モンスターは容量が355mlとエナジードリンクの中では多い。

レッドブルが210円で185mlということを考えると、レッドブルを買うよりモンスターを買う方がサイズ的にお得感がある。

しかし、そんな容量という面で話をすると「ZONeは500mlで200円ぐらいだぞ」という声が聞こえてきそうだが、500mlはエナジードリンクでは少し多いと感じていることとカフェイン含有量がモンスターより少ないこと、それと味がちょっと薄めなのが自分には合わない。そんなわけでモンスターの355mlというのは私にとってちょうどいいサイズであるといえる。

次に味が豊富なので気分に合わせて飲めるのも特徴だ。

私は普通のモンスターが原点にして頂点だと思っており、一番良く飲むのは普通なのだが、各種フレーバーも好きでモンスターとの出会いでも紹介した白モンエナももちろん好きだが、フルーツ系の味が強いモンスターパイプラインパンチ(ピンクモンエナ)も好きだ。(ただし、モンスターキューバリブレ(赤モンエナ)は許さない。)

豊富なフレーバーがあるからこそ初めてエナジードリンクを飲むという人でも、お勧めできると私は思う。白モンエナはスポーツドリンクに近い味だし、モンスターカオスもオランジー*3に近い味といえば体に悪いというイメージは薄く感じるだろう。

さいごに

というわけで「モンスターエナジー編」いかがだっただろうか。

モンスターは数多くの種類が存在するため、自分に合った味を探してみたり、初めてエナジードリンクを飲むという人にはお勧めだと私は思う。

ただし、飲みすぎには注意していただきたい。海外では飲みすぎて死んだみたいな事例も出ている。

いくら美味しいとは言っても死んでしまっては意味がないので、エナジードリンクでの疲労回復は程々に、疲れたらゆっくり休む。それを約束してほしい。

 

 

 

*1:二連魔剤:二日連続でモンスターエナジーを飲むこと。健康に悪いので、あまりお勧めしない。

*2:機運:物事を行うのによい機会。piraさんは運気を上げるという意味で使うが誤用である。

*3:オランジーナ:フランスの国民的炭酸飲料。