はじめに
どうも。piraです。
皆さんは自由になりたいと思った事ってありますか?
私は今の生活が正直嫌で、自由を束縛する何かから逃れたい
そう思うことが結構ありました。
今でも、自分にとって不自由だなぁと感じると自由になりたいと思う時があったりします。
しかし、生活に不自由を抱えているからといって、何も考え無しに自由を得ようとするのは大間違いです。
今回は、私が改めて感じた自由の難しさ(というかなんというか)について語っていこうと思います。
自由になりたいと思う時
思えば私が自由になりたいと思うようになったのにはあるきっかけがありました。
それは、「自分は過保護、過干渉な環境で育った結果、自分から行動を起こすということが難しい。」という思い込みからでした。
私は親に何か言われたり、心配をかけられたりと言った経験を結構してきました。おそらく発達障害が原因である部分もあるとは思います。その結果、自分の行動に対して少々過保護や過干渉気味になり、自分自身も行動を起こすと親に悪いと思うようになり、自ずと行動を起こさない態度を取るようになりました。
私は今でこそ自ら行動を起こす力を付けてきたとは思いますが、行動を起こすということに対して、「怒られるんじゃないか」とか「心配をかけてしまうんじゃないか」といった事を感じることが少なからずあります。
例えば、コンビニでお菓子を買う場合、私はお菓子を食べ過ぎて太るとかお金を使い過ぎてしまうなどといったリスクを気にすることが多く、そのリスクが原因で「買い物をしすぎたら親に怒られてしまうのではないか。」と思う事があります。
その結果、私は買ったお菓子を家に持ち帰るということはあまりせず、大体は飲食できる場所でポテチを広げながらコーラを飲むといったようなことをしていたりします。外から見たら変な光景に見えますよね。
他にも一人だけでゲームセンターに行ったり、映画を見に行くといった行動も「怒られるのではないか……?」というリスクの懸念からなかなかできずにいました。
そういう具合に、自分は過干渉されていると思うが故に「親から離れれば自由にやりたいことができる。」と思うようになっていきました。
まずは自律
そうした思い込みの結果、私はある一つの収束した考えに行きつきました。
それが「一人暮らしをして、親から離れれば俺は自由になれる。」ということです。
分かりやすく言うならば親の手から逃げたかったという思いが強かったです。
そうしなければ自分はしたいことができないままの人生になってしまうのではないかと思ったからです。
しかし、その話を両親や色々な方へした際、「何でもできるようになることが自由ではないし、好き勝手やることが自由ではない」という意見をいただきました。
そして、「自由よりもまず最初に自立することが大事で、その上で自律が求められる。」ということを知りました。
自立と自律――同音語ではありますが、結構違います。
自律は自らを律すると書きます。分かりやすく言うと「自分のルールを立てる」ということです。
自由になりたがっている私にとって自律なんてものは存在しないようなものでした。
私は親から離れ、ネットやゲームを好きにやったり、一人で映画見たりゲーセン行ったり、ラーメンとかステーキとか美味しいもの食べたり、旅に出たり……。よくよく考えると自由に遊びたいっていう子どものような空想を描いてくらしていました。
しかし、これらの行動に対して制御をかけないとなると、おそらくお金はすぐ無くなるだろうし、汚くてだらしない人間になるだろうし、しまいにはホームレスになって、物乞いに陥ってしまうという好き勝手な自由がもたらす最悪の結末が待ち受けているということを改めて理解しました。
そして、こういった行動を起こすためには自らに制御をかけ、どの程度まで自由にできるか天秤にかけ、自由の範囲をコントロールすることが大事だと思いました。
そして自立
自律によって自らをルールに則って行動ができるようになった次に自立が求められるようになっていきます。
自立は自らを律すると書く自律とは違って、自らを立つと書きますね。
しかしこの自立にも様々な自立があって、生活的自立、精神的自立、経済的自立なんかが代表的な3つの自立です。
簡単にまとめると
・生活的自立:家事が自分でできる。
・精神的自立:自分で考えて物事を行うことができる。
・経済的自立:安定したお金の使い方ができる。
私は就労移行支援事業所にいた時にこれらの自立を求められました。とくに生活的自立が一番大事な要素だったと思います。親が亡くなり身の回りの事が一人でできなきゃいけない環境に置かれた時、それらができないとなると死んでしまいますからね。
精神的自立に関しては、前述した自分が行動を起こすと親に怒られてしまうかもしれないから親に依存気味になったり、他人にああしろこうしろと言われるとつい流されることが多かったり、自分は結構弱かったと思います。
経済的自立に関してはもはや存在しなかったですね。経済力も無くただ自由になりたいなんて言ってたわけですから。(笑)
今では家事はある程度は自分でこなせるので生活的自立はでき、自分で物事を考え、本当にやりたいことなのか?と考える精神的自立はそこそこできてきて(人の反応が怖くて、流される部分は未だにあるかもしれないが。)自立はそこそこできてきているのですが、実家に暮らしている事と生活費を賄うということをしていないので、経済的自立については少し弱いかもしれません。(無駄遣いしてるかな?と感じることもありますし。)
最後に自由
自律と自立ができるようになり、ある程度の事が賄えるようになった先に自由があります。
そう思うと、自由になるって結構ハードルが高い事なんですよね。
かつての私の様に何にも考えず「縛られるものから離れ自由になった!やったぁ!」って喜んでいる人が実際自由になった時に陥るのって「自由になりすぎた故の最悪の末路」が待っているんです。
ですが、自分より自由な生活をしているなぁ~と思う人って結構いたりしますよね。
そういった人は自律と自立がちゃんとできていて、その中で余った力を使って自由なことをしているのであって、何をしても平気というわけでは無いんですよね。
つまり自分より自由に生きていると思っている人達も、実はかなり苦労していたりしているということになるんです。(自分より遊んでばっかに思われている人だって結構働いていたりするもんなんですよ。)
ですので、「自由になりたい」と思う気持ちは分かるのですが、そのためには常日頃から自分の事をコントロールし、生活できるような力を身につけ、余った力で思いっきり自由に楽しむという考え方をすることが大事なんです。
最後に自由って自分に理由があるって書きますよね。
これって要するに好き勝手にやることには理由が無いということつまり自由じゃないということなんです。
何の理由も無しに好きに行動を行う結果、訪れるのが最悪の結末が来る。
そんな勘違いで自由を得ないように。以上。