愛は地球を救えるのか。そして僕にできることは。

あー、あー……。音入っているかな?

うん。聞こえている。これで大丈夫。

はじめに

改めて、ごきげんよう。piraです。

いやー今年のお盆は巷じゃ最大で9連休とか何とか言われていたみたいでしたが……。

自分は仕事がありました!

まあぶっちゃけ仕事をしていた方が良いんですよね。お金が入りますし。

私の月給は最低賃金に近いんでね。やっぱ障害者雇用って結構大変なんですよ……。

さて、早速本題に入りましょう。

8月24日、25日は「24時間テレビ」があります。

まあ去年も取り上げていたりしたので、毎年毎年って感じもありますけれど……。(今回のブログに関しても「24時間テレビについて取り上げるのはどうなんだろう。」みたいな部分もあって、書こうか悩んだりもしました。)

なんかこう素朴な疑問を感じたんですよね。

それは「愛は地球を救う」って言いながら障害者の感動ポルノだけを見せるのが良いのだろうかと。

今年のバリバラのテーマ*1がズバリそれでして、そのテーマを聞いて、私自身は「愛は地球を救うって言うけれど、障害者の恋愛は何かとタブー視されている部分もあるし、同性愛等愛の形にも多様性があるのではないか。」と思いました。

そこで今回は発達障害者の恋愛に関する話で少し話題になったこととか最近感じる事とかに対して語ろうかと思います。

そして、発達障害者である私自らができること(それこそ理解し共生しある社会を作るにはという要素)がまだあるのだろうか考えていこうと思います。

「愛は地球を救う」とは

そもそも「愛は地球を救う」ってどういうことって思う人は多いと思います。(私もそう思う。)

各回の放送概要をWikipediaで見てみると、24時間テレビは「愛は地球を救う」をテーマに、寝たきりの老人の支援、アジア・アフリカの難民への支援をテーマとしてきました。

そこに障害者が加わるのは1981年の第4回。この年は国際障害者年の記念として行われ、前年のテーマとして挙げられたアジア・アフリカの難民への支援と合わせて行われるようになります。

そこからはほぼ毎年同じテーマで24時間テレビは放送されるのですが、転機が起きるのが1992年。番組のマンネリ化に対するテコ入れが行われました。毎年恒例となるマラソンが始まったのもこの年ですし、サライが作られたのもこの年です。

そっからは寝たきり老人に風呂を!だのアジア・アフリカの難民への支援などと謡っていたメインテーマがかなり曖昧なものになっていき、それこそ感動を与えるようなキーワードが挙げられていくようになります。

そして障害者が何かをするといったことがメインになっていくのもこの頃からだったと思います。(とはいえ自分は確かな情報を持っていないので、これに関しては要出典。)

私が思う「愛は地球を救う」という意味

私が思うに24時間テレビが言う「愛は地球を救う」と言うのは、全ての人が皆平等、公平に愛し愛され生きることができる世界なのではないかなあと思います。

それこそキリスト教でいう「隣人愛」に近い思想だと思います。

障害があろうと身分がどうであろうと性別がどうであろうとお互いがお互いを愛し合うことが愛が地球を救うために必要なことなのだと思います。

だが、24時間テレビという番組自体やはり障害者に対してやや下に見ているような気もしなくはないです。

番組側としては「私たちは障害者について理解していますよ。」「障害者のために募金を」という目的でやっているのかもしれませんが、

普段目を向けないのにここぞとばかりに障害者に何かをさせて、「障害者だって頑張っているんだぞ」っていうのを見せるのが果たして障害者に対する愛情と言えるのかどうかってところがあるわけです。

それこそ世間からしてもこの日だけ障害者について考えようという思惑が強かったりもします。(批判する側も批判する側でこの日だけ障害者について考えているような気もしなくはないと思っていたりします。)

皆が平等に扱われる。それこそ常日頃から障害者について考えていかなければならないのにこの日だけ騒がれるのが果たして「愛は地球を救う」と言えるのだろうかと感じるわけです。

 

障害者と恋愛の話

さて、愛と聞くとそれこそ障害者の恋愛関係はどうなのか?という話が聞こえてきそうですが、

これに関しては色々と話題になる話であったりします。

私は発達障害者を公表してTwitterをしており、Twitter上で発達障害を持つフォロワーも結構いたりします。

そういった人達の間で恋愛に関して話題になったことが2点あり、それは「恋愛ができるなら発達障害ではない。」ということと「発達障害は遺伝することが研究で分かっているので、子どもを産むな。」ということです。

まず1つ目の「恋愛ができるなら発達障害ではない」と言う話。

発達障害者はコミュニケーション能力が低い、相手の気持ちを考えることができないなどまあ他者との交流という面に関しては不自由を抱えることは多々あります。

それゆえに「発達障害者に恋愛なんてできるはずがない」という意見があったりします。

私としては恋愛ができるのは確かに発達障害者の中でもほんの少数の事例だなあと感じたりはしていますが、発達障害者は恋愛ができないと決めつけるのは良くないと思います。

それこそ、結婚して家族を持ってみたいな暮らしを考えている人って健常者だろうと障害者だろうといるわけで

それができるのは健常者だけだっていう考えがある気がするんですよ。

その時点で差別的ですし、価値観として狭い気がします。

それこそ発達障害を持っていようと健常者と同じように恋愛感情ってのはあってもいいんですよ。(もちろん他人を不快にさせてはいけないけれど。)

なので発達障害者だろうと少し苦労はするだろうけど恋愛はできるし、恋愛ができるなら発達障害ではないというのも違う気がします。

2つ目の「発達障害は遺伝するので産むな」と言う話に関しては、実際研究結果が出ていまして……。

www.excite.co.jp

記事に書いてある通り8割方遺伝って言われているんですよね。

そのデータを見て「遺伝するなら産むな。」って言う意見があるわけで……。

私自身はそれこそ「産む産まないは自由」だと思うんですけど、これを考えること自体それこそ差別的思想が含まれていて障害があるから産むなって言う考えはそれこそ日本に古くから存在する優生思想の名残なのではないでしょうか。

優生保護法*2により手術を受けた人への賠償も今年になって行われるようになりましたが、こういった優生思想により取り除かれていった人たちの辛い気持ちってのは時間やお金なんかじゃ解決しないですし……。

「遺伝するので産むな」という考えがあること自体まだまだ障害者に対する偏見は強い気がします。

精神疾患を取り巻く現状

話は変わりますが、今年はまあ色々と凶悪な事件がありましたね。

その度にマスメディアが騒ぎ立てるわけなのですが、犯罪者の自宅からアニメやゲームの類が出てくるというお決まりのパターンも最近は少なくなってきたと感じます。(とはいえ自宅捜索でこれらの類が出てくると当然騒がれるのだが。)

実際アニメやゲームが出てきて「オタクは犯罪者予備軍だ」と言っている人は私としては受け取り手側であるオタクの方がむしろ騒いでるような気もしなくは無かったりしますし。(実際、オタク趣味って昔に比べれば寛容になってきた部分もありますしね。とはいえオタクに対して嫌悪感を持っている人も少なからずいるけど。)

その一方で最近増えてきているのが「犯罪者が精神疾患を持っている」とか「精神障害者保健福祉手帳*3を持っている」とかといったパターンだったりします。

こういったニュースが話題になるたびに「凶悪犯罪者は精神に異常をきたしている。」という偏見が強まり、「精神障害発達障害は何をしでかすか分からない。怖い。」「精神障害者はキ〇ガイばかり。」などと言った感情が沸いてくるわけです。

実際、精神障害者に対する偏見からか、精神疾患をもっているということは人前では言っていけないという風潮はありますし(自分だってどちらかと言うと言いたくはない。)、実際私が旅行等といった人生経験が少なかったのも「自分は発達障害者だから一人で行動したら何か問題を起こすかもしれない」という思い込みがあったからだったりします。

しかし、精神障害発達障害といった精神疾患を持っている人って身体障害とほぼ同じぐらいかそれ以上の母数があるということ。そして人はちょっとしたあれで精神を病むことが結構あったりします。

実際社会に出るということで、学校生活では少なかった集団で作業をする機会が増え、その中でコミュニケーションの乱れとか、自分と相手とでうまくかみ合わないなんてことが多かったり……。

その結果「仕事ができない。」と言われ、調べてみたら発達障害だったり精神障害だったりと……。

だから精神疾患だからといって、「この人は協調性が無いからおかしい人だ」とかといって社会から取り除くのではなく、そういった人たちにとって生活しやすい社会を作っていくことが皆が公平に暮らせる社会であり、「愛は地球を救う」の概念に近いのではないでしょうか。

僕にできることはまだあるかい

さて、私自身発達障害者という身ではあるのですが、発達障害についてもっと知って欲しいという思いはあったり、障害者に対する偏見(それこそ前述した精神疾患持ちはキ〇ガイばかり)は無くなって欲しいと思います。

発達障害についてはここ最近色々なメディアや書籍なんかが取り上げたりしますが……。まあ似たり寄ったりというか。

それこそ24時間テレビのような感動ポルノ型のものもあれば、

障害を持った天才みたいな描き方をするものもあったりします。

障害を持った天才という描き方に関しては以前ブログにて「障害があろうとなかろうと天才は天才」と言う話をしたので、わざわざ障害を持ったっていう言い方をするのも変だなあと思ったりはします。(実際自分もこうやってブログを書いたり絵を描いたりするわけだけど、それが天性の才能的なものなのかと言われれば努力して得た才能だと思っており、もし仮に自分は天才かときかれたら秀才であると答える。)

あとは啓発をし続けるのはどうなのかと言う話。

それこそ、発達障害に関してはNHKが去年あたりから発達障害プロジェクト(http://www1.nhk.or.jp/asaichi/hattatsu/index.html)と称して、あらゆる番組やWebサイトなんかで発達障害について紹介していたりします。

けれども、NHKも含めてなんですけど大体が発達障害の症状について毎回毎回1から説明して「世の中にはこういう障害を持った人がいるんですよ」という認識で終わっている気がします。

これを見て多くの人は発達障害がある。じゃあこういった人達に対してアプローチをかけていこう」という考えにはならず、「世の中には発達障害という障害を持った人がいる。」と言う考えや精神疾患内部障害に対する偏見から「こういった人達とはなるべく近寄らないようにしよう」という悪い考えを持ってしまいます。

その結果何度も何度も同じような啓発活動が続き、啓発をしては「こういう障害を持った人がいるんだ。考えていこう。」ってその時だけ思い込んで、しばらく経って記憶が薄れたころに似たような啓発番組が放送されてのループに陥っているのがNHKや民放での取り上げ方な気がします。(こう言うと毎年夏の終わりにやっている24時間テレビもその特色が強い気がしますね。)

こういった啓発に関しては、バリバラが少し面白い事を言っていて、「バリバラが無くなることを望む」とMC自らが言っていたりします。

つまりはこういった啓発が無くなり、こういった障害を持つ人がいることがごくごく当たり前になる社会こそが大事なのではないかということだと思いました。

最後に福祉番組は視聴率が取れないとNHKも言っています

ふと疑問に思うんですけど、「24時間テレビを批判している人達って普段NHKの福祉番組ってみたりしているんですかね?」ってことです。

それこそバリバラが毎週木曜20時にNHKEテレ(古い言い方をすると教育テレビ)にてレギュラー放送しているという事を知らず、24時間テレビがあるときだけしか見ていないような気もしなくはないんですよね。(むしろバリバラが24時間テレビの時だけNHKが裏でやっていると思っている人もいそう。)

それこそ君たちは平昌パラリンピック見たんですか?(私は残念ながら見ていない。)

……とまあ文句を言うのもあれですけど、福祉番組は視聴率が取れません。

pira365.hatenablog.com

これは今年の2月にNHKの文化・福祉番組部が解体の危機に直面した時に私が書いたブログ記事なんですけど、まあNHK側も視聴率取るために大変だなあと。(それこそ「チコちゃんに叱られる」といい朝ドラといい最近はやや民放化してきている気もする。チコちゃんは好きなので何とも言えないが。)

実際、ハートネットTV*4は週3回になり、バリバラは日曜19時から木曜20時に変更になりました。

結局は文句を言ったところで見る人がいないんですよ。

よく私はバリバラのツイートをRTしては見ろって言うんですけど、反応は無いですし……。

結局批判する側も含めて障害者に目を向ける時なんてみんな24時間テレビの時だけなんですよね。(なんて言いながらこんな日にこんなブログを上げているわけだけど。)

だから発達障害者の僕にできることはなんて言ったところで、耳を傾けてはくれないので無駄なんですよ。

このブログもいろんな人が見てくれるか分からないですし……。

まあ今年も2日間みんなして色々考えるのはいいんだけど、

常日頃から障害者のこと考えていこうねって思ってもらえると嬉しいです。

ここからは付録。

 付録:24時間テレビに対する意識調査の2019年の結果

 今年もTwitterにて24時間テレビが好きか嫌いかというアンケートを取りました。

去年のデータ(24時間テレビが好きか嫌いか - piraさんの思うコト)を見ると

 まあ例年通りといったところですかね。

少数ながらも好きと答える障害者の方もいたりして、みんなが嫌いと言うわけでは無かったりします。

実際今回の記事では批評的に書いてはいるのですが24時間テレビという番組自体100パーセント悪いとは私は思っていません。

それこそ24時間テレビを見て募金をする人には善意を持って募金している人もいるわけですし、そういった人達の募金によって福祉が成り立っている部分もあり、

そういった行為に対して「偽善だ」と言ってしまうのは善意ある行為を踏みにじる気がしています。

私はこういった善意を踏みにじる行為はWin-Winの関係を自ら壊すように感じ、

24時間テレビの取り組みを全否定するのも間違いではないかと思っています。

ただ、この日だけ良くも悪くも考えるのはなんか違いますし(といいながらこの日にこんなブログ上げているわけだけど。)

健常者側も常に考えていかなければいけないと思っています。

だからこそ前述した通り、24時間テレビの時だけ考えるのではなく毎週やっているバリバラやハートネットを見たり、常日頃から福祉に目を向けることが障害者について考えるのに必要なことだと思っています。

長くなりましたが、今日のブログはここまでとさせていただきます。

ご清聴ありがとうございました。

 

 

 

 

 

*1:今年のバリバラのテーマは障害者の恋愛やセックスに関する話である。

*2:優生保護法:昭和23年に制定された不妊手術や人工妊娠中絶に関する事項を定めた法律。障害を持つ親族が手術を希望することにより障害者に対する不妊手術が行われた。1996年に母体保護法に法改正されたが、当時の被害者からの賠償を求める声により今年4月に救済法が成立された。

*3:精神障害者保健福祉手帳精神障害発達障害を持つ人が持つ障害者手帳

*4:ハートネットTV:NHKEテレにて毎週月曜~水曜の夜8時に放送している福祉系番組