夏の終わり2020(はてなブログ ver.)

ドクターペッパーを飲みながら)

あれ、今カメラ回ってる?

あー、あー、あー……

音も入っているな。いやー緊張してくるな毎年毎年……

すー、はー、すー、はー

……よし。そろそろ始めようか。

 

 

 

DP?いいえ、OP

どうも、piraです。

今週も先週に引き続き、選ばれし者の知的飲料「ドクターペッパー」を飲みながらブログをお届けしています。

いやーあれからほぼ毎日ドクペと同棲しているのですが、管理が大変ですね。

この前は冷蔵庫の温度設定をミスって1本凍死させてしまいましたし……

貴重な叡智の結晶を失ってしまったと感じました。

その一方で本場アメリカの方ではドクターペッパーがコロナ禍で品薄状態になっているなど

叡智を求める人の群れであふれかえっているなーと思います。

本題

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0c/Nittele_24Hour_Television_logo.svg/1200px-Nittele_24Hour_Television_logo.svg.png

さて、本題に入りましょうか。

2020年8月22日から23日は24時間テレビがあります。

今年は新型コロナウイルスの影響であらゆるイベントや特番が中止や延期になったりしているのですが、テレビ局曰く「(24時間テレビは)やらないといけないという使命感を持っている」とのことで、今年も行われるそうです。

まあ正直なところ毎年毎年同じような話をするのもどうかなーと思うのですが、この日が来るたび私が言いたいことがあって、

それは、「24時間テレビの時だけみんな騒ぎすぎじゃない?」ということです。

というのも24時間テレビと聞くと「障害者とか震災の被災者とかそういった人たちを救うためのチャリティー番組だ。」「毎年行われるチャリティーラソンサライを見て夏の終わりを迎えるのが風物詩だ。」と思う人もいる一方、ネット民の多くは「あーまた偽善の番組やってるよ。今年もいくらかギャラが払われてるんだろ。」「こんな感動ポルノなんか見るよりは裏でやってるバリバラ見るほうがええわ。あとハートネット見た方がまし。」とかどうせ見もしない癖に「こんな番組なんかより東京パラリンピック放送しろ。(もし東京パラリンピックが今年開催されていたら言われていただろう。)」だのと言った不毛な争いが毎年行われては正直胃が痛い思いをします。

そして私自身この時期のネットを見ていて思うのが「お前らアンチ24時間テレビも結局は24時間テレビの時だけしか障害者に目を向けてないじゃねえかよ」というのと「偽善だのなんだの言ってるけど、変に偏った情報を鵜呑みにして叩きたいだけなんじゃない?」ということです。

今年はアンチ24時間テレビに対して正直色々言いたいことがあるので、その方面の人について思うことを書いていこうと思います。(まあ毎年言ってること変わらないと思うけど)

24時間テレビにギャラが支払われてるって本当?

まず、24時間テレビが偽善だと批判される一つの要因である「お金」の話をします。

24時間テレビといえば毎年行われる募金のイメージがありますよね。

「今年は〇〇億集まった」とかというのも番組の最後に発表されたりします。

さて、そんな募金の使い道なのですが、多くの人は「出演者へのギャラ」として支払われているという噂を信じている人が多いです。

実際ネット記事とかを見るとある有名人が「24時間テレビにおけるギャラ」の話をしていたりするので、裏では本当にそういうことが行われているのかもしれないと思うかもしれません。

とは言うものの、実際ギャラが支払われているかどうかというのは関係者しかわからない話で、本当のことは分かりません。はい。

また、「募金箱は金が抜かれている」とか「取材を断ったら捨て台詞をはかれた」というのもネットで出回る話だったりするのですが、正直ネット上で転がっているそういったエッセイ話ってのはバズ目的がメインだったりして信憑性に欠けるので、本当のところは怪しいです。

しかし、こういった偏った情報というのはアンチには格好の的であり、かえって拡大解釈されてしまっていて、「チャリティーなんだからノーギャラでやれ」とか「募金額以上に出演者へギャラが支払われている」とか言われていたりします。

こういった批判的な情報に対して疑う目を持たずに一方だけを信じると間違った知識が正しい知識になってしまう気がします。

私がそう思うきっかけとなったのがオタクの間で今なお語られる宮崎勤事件*1というのがあるのですが、その当時コミケの取材に来ていたあるアナウンサー(S氏)が「ここに10万人の宮崎勤がいます!」と発言したことが語られるが実際そのような報道はなく、アナウンサー(S氏)とマスメディア叩きのためにオタクが歴史を改変したんじゃないかと思うようなガセ雑学を杉村喜光さんが紹介していました。

 

これをみて「批判的な情報は(そうした情報を好意的にとらえる人にとって)彼らが望む方向へ解釈される」と思いました。実際その当時のオタクバッシングを知る人達や今なお偏見の目で見られるオタク達にとってそういった情報はマスメディア嫌いの原因を作るきっかけとしてはいいものだと思いますし。閑話休題

じゃあ「募金額はどう使われてるの?」という話なのですが、よく目にするのがリフト付きバスといった福祉車両電動車いす環境保護、震災や豪雨で被災した地域への復興支援に使われます。

また、最近では新型コロナウイルスへの対応として、福祉施設にマスクを寄贈したりなんかといったものも紹介されていました。(たまたまやってた24時間テレビの特番で紹介されていた。)

しかし、前述した偏ったマイナスイメージのせいか、こうした善意ある活動に対して「偽善」だと考えてる人は多いです。

実際、24時間テレビ福祉車両は偽善でできた車(偽善車というべきかな?)と考えている人も中にはいます。

こういった感想を見るたびに「善意あって募金している人達もいるのに……」と感じずにはいられません。

去年も語ったのですが、こういった善意ある募金を偽善といって否定するのは募金をした人に対して失礼ですし、Win-Winで成り立っている24時間テレビの取り組みを全否定するのも間違いではないかと思っています。

そしてそういった人たちこそ普段障害者について考えていない様子を見ていると「偽善だと言って否定している人達の方が余程偽善的なんじゃないか」と私は思いますね。

「感動ポルノ」や「努力信仰」について

そして24時間テレビというと近年では「感動ポルノ」という単語がよく耳にされ、「障害者を感動の道具にするな」というのもよく言われますが、「障害者の感動ドキュメンタリーばかりが注目されすぎていないか?」と思っています。

それこそ「感動ポルノ」という言葉がただただ独り歩きしてしまっていて、障害者を感動のための道具にするなみたいに考えている人は多いんですよ。そして「24時間テレビは障害者でお涙頂戴するのはやめろ」と言う人は多い。

実際24時間テレビは普段目にされない障害者が注目されることは間違ってはいないのですが、最近の24時間テレビって障害者だけではなく震災の話なんかもあったりしてそれこそ「24時間テレビ=障害者の感動ポルノ」というのも普段見ていないからこそこうしたイメージだけで語っているような気がします。

そして「障害者と感動を結び付けるな」という考えもおかしくて、感動ポルノが嫌いと言っている人達は障害者の感動ポルノだけを批判している印象が私の中にあります。

それこそ日本人って感動や努力といった言葉が好きですよね。

夏の甲子園もそうですし、東京オリンピックもそうですしとにかく感動エピソードを欲したがる。

最近だと映画の「ベイマックス*2が感動モノかと思ったらバリバリのヒーロー映画だったりとまあ日本人ってとにかく感動話が好きで……正直うんざりすると考える人は多いと思います。

しかし、24時間テレビを感動ポルノと言っている人達というのは24時間テレビを批判したいから感動ポルノという言葉を使っているように見えます。単に感動話が嫌いだというなら日本に蔓延る感動系の話は耳にしない方がいいと思います。

それと同時に日本は努力信仰が強いですよね。これは要するに「頑張った奴は報われる。だからお前も頑張れ。」という考えがどうしてもあると思います。

実際自分も今こうして一人暮らししてMOTHER*3してるのも努力のおかげだと感じてはいます。

とはいうものの他人から「頑張れ頑張れ」と鞭を打たれるのはそれは痛いわけで、努力って自分の力の範囲で行うべきだと思うんです。24時間テレビのような企画って自分の力以上の努力を彼ら(障害者)に要求するわけだから批判されるわけなんですよね。

もちろん疲れるぐらいに頑張るのは大変ですけど、逆に一切努力しないのは自分の伸びしろを自分から潰しているわけですし、勿体ないと思う反面怠け続けてる姿を見ると「(障害で)生きづらいとか言っているくせして対策考えてねえじゃねえかよ」と思うわけです。

だから「(障害者だからって)頑張れって言ってくる奴らうるさいから俺は一切頑張らない。」と考えるのも違うわけで、自分の出来る範囲の努力というのは必要だと私は思います。

そして頑張っている人達を妬むのもやめて欲しいです。発達障害者で一人暮らししてるって言うと嫉妬の対象になりそうで怖いですし、こっちも普通の生活を送りたいと思ってるしもっと言うなら恋愛もしたいし結婚もしたい。家庭も持ちたい。

そういった人たちの頑張りを「自分は障害のせいで生きづらい思いしてるんだから同じ苦しみを味わえ」みたいな顔して嫉妬するのもされる側は嫌な思いをしています。

24時間テレビVSバリバラ」という対立構造について思うこと

そして、これはブログ等で何度も言っていることなのですが、「バリバラがこの日だけ持ち上げられるのもなんか違うな」と思っています。

毎年24時間テレビに合わせるようにバリバラが放送されるわけで、アンチ24時間テレビの人たちは毎年バリバラを見ています。

元々「バリバラ」が裏に充ててくるようになったのはレギュラー放送の時間帯が日曜7時のゴールデンタイムということもあって時間帯的にいつもの時間帯だからやれることだと思います。(去年と今年が深夜帯なのも本来再放送の時間帯であるからそういう時間帯になっていると思う。)

まあ見る番組が無いからバリバラを見てるという人もいると思いますが、最近は「24時間テレビの裏番組」として見られていて毎年この時期になると話題に上がります。

24時間テレビに批判的な声を上げる。それこそ「障害者=感動」というステレオタイプに対抗するという姿勢はアンチ24時間テレビに対して称賛されるものだとは思います。そしてそういったマスメディアが作ったステレオタイプの否定は今までないだけあって「攻めてる」という印象を持たれアンチの好感を得ていると思います。

しかし、バリバラ側はこうした対立構造を望んでおらず「VSではなくWith。障害者について一緒に考えていこう。」というスタンスで毎年裏で放送をしています。

とは言うものの最近のバリバラの毎年の盛り上がりぐらいを見ると「24時間テレビVSバリバラ」という構造を彼らが作っているんじゃないかなと思います。

むしろ私は毎年24時間テレビに合わせてくるバリバラに対して「バリバラはアンチ24時間テレビの受け皿として機能している」と思うし、そうしたアンチ24時間テレビの人達の感情を煽るために放送されており、番組制作側もそれを意識しているのではないかと考えています。(実際「やらないといけないという使命感を持っている」という発言に対しても対立を煽るようなツイートをしていたりします。)

 

一方普段のバリバラって攻めてる企画はよくやりますが、24時間テレビ以上に真面目に障害者との生活に向き合う回もあったりします。(障害者と戦争の話とか障害者がキャッシュレス決済を利用する回とかは良かった。)

そして勉強になる回も多く場面緘黙症とかトゥレット症候群とかHSPとかといった精神障害をこの番組で知りましたし、最近はBLM*4の話とかもやっていたりしました。

しかしバリバラは毎週放送されているのに対してどうもアンチ24時間テレビの人達というのは福祉番組に興味が無いんですよね。(実際去年はNHKの福祉番組が解体の危機にあるということも伝えましたし。)

そして去年にはその件について怒ったりもしました。

 

pira365.hatenablog.com

 

それにも関わらずアンチ24時間テレビの人たちがこの時期によくあげる声として「24時間テレビよりバリバラやハートネットTVを見た方が障害者の理解が深まりますよ。」とか「パラリンピック放送しろ」とか言うのでこういった人たちを見ると「障害者のこと分かってますよアピールもいい加減にしろ。」と言いたくなります。

そう言っている君たちほど普段障害者について考えず、物忘れの多い人や衝動的な人をADHD*5認定してしまったり、ネットの素人目な発達障害診断とかを信じてしまう人が多いと思います。

そして、こういうときだけ騒いでいる人たちを見るたびに「この日だけ障害者について分かったつもりになってんじゃねえよ。」と思いますし、そこまで言うなら毎週バリバラやハートネット見ろよと言いたくなります。(だからこそ私は毎週バリバラを見てはみんな見ろと言っています。)

「バリバラ桜を見る会

そしてバリバラといえば今年は春に「バリバラ桜を見る会」というのが放送されてまあこれも「攻めてる」って言われて変な方向で盛り上がっていましたね。

これに関してはnoteにまとめているのでそちらを見ていただければありがたいのですが、実際このバリバラで注目されたのって「マイノリティについて」ではなく「安倍や麻生に扮した物まね芸人が政権批判していたこと」のように思われます。

note.com

実際この回のバリバラについてよーく考えてみると政権批判ではなくマイノリティの活躍やマイノリティに対する発言が主だったと思いました。

実際安倍や麻生に扮した芸人を出して政権批判をしたり、障害者に出席簿をシュレッダーにかけるといったようなのは左派の支持を集めたとはいえ本来はそういった方向で見られるべきものじゃなかったと思いますし、そういったことしなくても「この1年マイノリティに関してこういった動きがあったよね」という話で良かったはずなのですが

かえって普段見ていない左派が「バリバラ攻めてる」と言い始めて「24時間テレビの時だけバリバラ持ち上げてる奴らと変わんねえな」と思いました。

そういう人たちがいる限り障害者は政権批判や感動ポルノ批判のために障害者というカテゴリで利用され左派やアンチ24時間テレビに持ち上げられるんだろうなぁ……と感じました。

それぐらいみんな普段障害者のことなんか考えておらず、この回も「政権批判したから盛り上がった」と思うしかありません。(実際この翌週のバリバラも雲泥の差と言わんばかりの盛り上がり具合でした。)

心の中の優性思想

そして最後に毎年この時期に普段目にしない障害者について騒がれるのは24時間テレビがあるからというのもあるのですが、アンチ24時間テレビの人達がこの日だけ騒ぐくせに普段障害者について考えないのも「障害者のことは見たり触れたりしてはいけない」という優性思想に近い考えがあるからではないかと私は思います。

実際私も発達障害者として生きている身ではありますが、肩身が狭い思いしてますし、あまり人に障害者だと言いたくないという感情はあります。

また福祉番組を見るようになったのも発達障害者になってからだったりしますし、そういった世界というのは触れてはいけないものと教わってきました。

とはいうものの、「アンチ24時間テレビがこの時期だけ騒ぐのも24時間テレビを見ている人達と変わらないよな。」という思いが彼らの福祉への関心のなさと、バリバラの視聴者層から思うようになっていました。

しかし、障害者に普段から目を向けるということは心の中の優性思想が邪魔をして「触れてはいけない」と考えてしまうかもしれません。

しかし、「障害者について理解する」と思うのであればそういった優性思想は今すぐ取り払ってください。

そういった優性思想が働いて「障害者は触れてはいけない」と思いつつ24時間テレビが放送されるたびに「偽善だ偽善だ」というなら実際に行動してほしいです。あと善意をもって募金してる達をただ騒いで批判するのやめてほしいです。

以上で本論文は終わりとなります。

長くなりましたが、ご清聴ありがとうございました。

*1:宮崎勤:1988年から1989年にかけて4人の幼女を誘拐した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の被疑者。アニメや漫画を多数所持していたことがマスコミによるオタクバッシングを引き起こし、今なおオタクの間ではアニメ等に対するマスコミ報道への批判のきっかけとなる事件でもある。

*2:ベイマックス:2014年公開のディズニー映画。ぷにぷにふわふわなベイマックスと天才科学少年ヒロのハートフルストーリーとして当時宣伝された

*3:MOTHER:ここで言うMOTHERとはゲームのMOTHERのことではなく、家事を頑張ってやっている姿を「お母さんになった」と感じた自分をMOTHERと表現している。

*4:BLM:Black Lives Matterの略。アフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイド氏がアメリカの白人警官に射殺された事件を受けて世界中で黒人差別を考える運動として活動が行われている。とはいえ最近では過激なBLM運動が問題視されていたりする。

*5:ADHD発達障害の一つ。「注意欠陥・多動性障害」のこと。不注意や衝動性などといった症状が良く見られる症状として挙げられ、しばしば誤解をされやすい障害である。実際ADHDの診断は専門医にしてもらうことをお勧めする。