「等価交換」という考え方

piraです。

今週はいよいよ鬼滅の刃の映画が公開されましたね。

上映本数を見ているとすっごいなーと思います。あんな上映スケジュールの映画今まで見たことあったかなあと。

私も観に行こうと思ってはいるのですが、人気作だから公開初日は密になるぐらい人集まるだろうと思ってしばらくしたら観に行こうとは思ったのですが、

それを見越した上でのあの上映スケジュールを見たら、まあ観に行こうかなあと思っていたりもします。

本題

というわけで本題に入ります。

先週毎日こち亀が終了して、約一年間のこち亀を読む生活も終わったわけなのですが、

その次に何読んでるのかというと鋼の錬金術師を読んでいます。

ハガレンは何度か読んではいるのですがここ最近になって鳥貴族*1の件でハガレンがちょっと話題になり、エドの声優の朴璐美さんも言及してたのを見て改めて読みたいなあと思って読んでいます。

そんなハガレンを代表する概念として「等価交換」というものがあります。

これは簡単に言えば「何かを得るにはそれなりの対価を支払わなければならない」ということです。

たとえば100円のジュースを1本買うなら100円払わないといけないわけで、それが1円でジュースを買おうものなら価値が釣り合わなくて買えないわけです。

また、無から有を作り出すことも不可能なわけで家を建てるにしても大量の木材や石等が必要になったりするわけです。(マインクラフトを想像すると分かるかも。)

自由の対価

そんな「等価交換の法則」というものを自分の生活の中でも少し身近に感じつつあるなーとハガレンを読みながら思っていて、それこそ一人暮らしをしていて感じます。

「親を離れて自由になりたい」と思って一人暮らしをしたいと思い始めた自分はこう漠然と「親から離れれば何をしても怒られずにすむ」という考えがあったんですよね。それ故に一人でずっとゲームしたりカラオケ行ったり映画観に行ったり……と一人暮らしをしたいと思い始めていたときはただひたすらに遊びのことだけを考えていました。

しかし今こうして一人暮らしをしているとそんな余裕ってほとんど無くて、毎日ご飯作ってはお風呂入れて洗濯して明日の予定を考えてとやっているだけであっという間に時間は無くなります。

そして趣味等に費やす自由な時間というのは大体1時間程度。実家にいたころに比べれば自由な時間はかなり減ったと思います。

しかし、「等価交換」という見方で考えれば自由の対価ってこれぐらい大きなものなんだと実感しています。

自由に生活するってかなり大きいものでそれ故それにかかるコストもかなりあります。

実家にいたころならば親がなんとかやってくれるでしょうけれど、一人暮らしとなるとそれすらも全部自分でやらなくてはならないわけで、親という存在はいないものの自由の対価としてさらに負荷として加わり、その結果自由を得るのって実際苦労するもの何だと思います。

鳥貴族の話

でまあ鳥貴族の話になるんですけど、錬金術のためだけに席を予約して1品注文して帰るってのは店側からしたら迷惑な客だなーって思うんですよね。

確かにこういった穴をついてお金を増やしたいっていう心理は分かるし、そんなことよく考えるなーと思ったりもするんですけど、お店側としては還元分のお食事をしてもらうことを想定しているわけだからこうした不等価交換ってGOTOキャンペーンと言えるのかといったことを感じていると思います。

だから朴璐美さんも「等価交換の法則を無視しやがって……」って思うわけですよ。

だからGOTOキャンペーンでお金を増やしたいって考えること自体がGOTOじゃなくて、GOTOキャンペーンの還元を利用して普段行かないようなお店に行って対価を支払って旅行や食事を楽しむ。それがGOTOとしての「等価交換」なのではないでしょうか。

まとめ

何かを得るにはそれなりの対価を払う。

これはどんなことにも当てはまることだと思います。

今回は自分の一人暮らしが例だったのですが、あらゆる生活の場でそれなりの対価を払う場面と言うのは出てきます。

そうしたときに対価がどのくらいのものかを考えないと、エドやアルのように持っていかれたりするわけです。(実際自分も遊びの事ばっかり考えていたら家やらお金やら色々と持っていかれてたと思いますし。)

そんなわけで「等価交換」という考え方は生活において大事だなあとハガレンを読んで思ったのでした。

 

*1:鳥貴族:大阪や東京を中心に展開している焼き鳥居酒屋チェーン店。GOTOキャンペーンを利用した錬金術が話題に。