これまでの夏の終わり

どうも。piraです。

8月という事で夏の終わりがあと2週間と近付いてきており、

私もTwitterにて「もうすぐ夏の終わり」とか「今年の夏の終わりもスペース0人なんだろうな。」とか色々不安を感じさせているのですが、

そもそも夏の終わりが何なのかを知っていますか?

今回はそんな夏の終わりを知らない人のために来週21日より公開予定の「シン・夏の終わり」への予習として

夏の終わりとはなんなのか。そしてこれまでの夏の終わりを皆さんと振り返っていこうと思います。

夏の終わりとは

さて、まず初めに「夏の終わり」とは。

毎年8月の第3週もしくは第4週に放送される24時間のチャリティー番組のことです。

まあ、名前を出しますけど24時間テレビのことです。

毎年毎年マラソンを走ったり、ジャニーズのタレントさんが歌歌ったりで頑張ったりするんですけど、ネット民の間ではどうしてもこの24時間テレビに対して批判的な意見を述べる人が多いです。

例えば「24時間テレビは感動の押し売りである」とか「24時間テレビの出演者は募金額以上にギャラを貰っているからノーギャラで出せ」とか今年は電力逼迫も相まってか「24時間もテレビ放送をするぐらいなら地球のために24時間停波した方がいい」とか……

こうした意見は以前からは見られなかったようのですがSNSやネットが普及した現在、24時間テレビの必要性は改めて考え直さなきゃいけなくなりつつあると思われます。

2016年

そして「24時間テレビは感動の押し売りである」という意見がネットで言われるようになってきて、今から6年前の2016年に障害者当事者が「障害者を感動の材料にすることはどうなのか」ということでNHKEテレのバリバラが意見を出しました。

番組内では24時間テレビに似た黄色いTシャツを来て、MCの方や24時間テレビへの出演経験のある障害を持つ方が出演し、議論を交わしていました。

そしてこの放送回においてが先天性の骨形成不全症の障害を持つステラ・ヤングさんが登壇したTEDの映像が放送され、その中で彼女が発言した「感動ポルノ」というワードが話題を集めました。

「感動ポルノ」とは障害者や社会的弱者が苦難を乗り越える姿を感動を呼び起こすかのように描写したものを差し、これは24時間テレビにおける障害者を利用した感動ドキュメンタリーがまさにそうであると言わんばかりな言葉だったりします。

この回は昨今の24時間テレビに対して不満を持っていた人たちの間で話題となり、

「NHKEテレのバリバラは攻めている!」「24時間テレビの裏で24時間放送するべき」といった意見が見られたりしました。

しかし本放送にてMCの方が最初に語っていたのですが「これは(24時間テレビとの)VSではない。」つまり24時間テレビに対抗した番組ではない。と言っています。

つまりこれは「バリバラは24時間テレビの裏番組ではなく、あくまでも意見広告に近いもの」と私は思っています。

そしてこの回もレギュラー放送回の一つ(まあ生放送だったんだけど。)であり、その放送枠の30分で語っていたわけで、言うなら単なる教育テレビの福祉番組の枠だったわけなんです。

それから6年も24時間テレビの裏で特番を放送していくわけことになり、先に言うとバリバラは1年目の24時間テレビの裏からだんだんと本末転倒な方向へと進んでいってしまっていると私は思います。

2017年

2017年になると私の身に変化があり、発達障害者であることを公表することになります。

ちょうど夏ごろに会社を辞めることになり、8月はほぼ引きこもり状態だったわけなんですけど、その年の夏の終わりにバリバラはレギュラー放送の枠を使って生放送を行いました。

この時のテーマは「障害者の夢」で、確か当時の24時間テレビのテーマに対抗した内容のものだったのを覚えています。

障害者が夢を語るとき「〇〇がしたい」という願望が強く、番組内では野球がやりたいという男性に実際に野球をやらせてみたり(バリバラらしいオチを付けているのだが)、寝たきり芸人のあそどっぐに寝たきりの状態で山を登らせてみたりといった24時間テレビの企画に対するアンチテーゼ的内容だった気がします。

そして私自身所謂マイノリティの立場に立ったこと、そして小学生時代からアスペルガーとして生きてきた身も踏まえ、なんとなくバリバラのやり方に対して違和感を覚えてつつありました。

「そもそもバリバラって毎週やっているんだけどな。」と思い始めた私はここからレギュラー放送回のバリバラを見ていくことになります。

まあこれっておそらくは自分がマイノリティの立場になったからだと言われるかもしれないですが、24時間テレビの時になるとアンチが湧き出てバリバラやらハートネットを持ち出すといった流れに違和感を覚え始めたからなんですよね。

ああいう人たちもまた障害者の感動ポルノとか言って批判したいだけなんじゃないかと思い始め、以降そうした人と戦っていくようになります。

2018年

2018年のバリバラのテーマは「テレビのバリアフリー

実はこの回はレギュラー放送回でやっていた回の延長戦みたいな感じで、

その時は当時開かれた平昌オリンピックを例に、視覚障害者や聴覚障害者はテレビでスポーツを見る際にどうしても置いてけぼりにされてしまっているということで、

障害者がテレビに置いてけぼりにされているのは障害者が話題になる夏の終わりにおいて問題なのではないか?という意見を24時間テレビの裏で生放送を行いました。

生放送では全編にわたって手話通訳を付けてみたり、副音声で視覚障害を持つ落語家桂福点さんによる解説。そして普通の字幕に加えて、やさしい日本語を使用した字幕を付けた実験を行ったりしました。

私自身この時のバリバラが24時間テレビの裏でやっていた回の中では一番良かった回だと思っています。

24時間テレビって確かに障害者やマイノリティが主役な部分があるのにそうした人たちが取り残された状態になっているのはどうかと思い、こうした点に注目したのはなかなかいい目つきだったと思います。

そして番組の最後に「真のバリアフリーとはバリバラが無くなることである」とMCの方が述べていました。これは障害者の福祉番組が無くなり、当たり前のように障害者やマイノリティと呼ばれる方たちがテレビやメディアに出演することではないかと私は思いました。

しかし、相変わらず24時間テレビの裏じゃないと話題にならない状態というのは3年やっても変わらず、その傾向は2019年以降からだんだん24時間テレビへの対抗意識が強い内容になっていたと私は思います。

2019年

そんなわけでバリバラが対抗意識を燃やすようになったと私が思うようになったのは2019年にバリバラに少し変化があったからです。

この年バリバラの放送時間が通常時が日曜19時から木曜20時に変更されたんですね。

そして再放送を日曜の深夜0時からになりました。

これによって2018年までは日曜のゴールデンタイムにぶつけてきたバリバラは、2019年から2021年まで日曜深夜に特番を放送するようになりました。(これを書いている今は今年どうなるのかは分からないですけど。)

そして深夜という枠になり表現が緩くなったのかこの年は「障害者やマイノリティの性や恋愛」をテーマに2.4時間の生放送が行われました。

そして障害者などの接客も担当しているバリアフリーな風俗嬢の方、クィア*1と呼ばれる第3の性を持つ外国人の方が出演し、「ジェンダー体操」が話題を集めました。

しかし、相変わらず毎年のようにこの時だけしか見ないような人たちばかりがこの回の放送内容に対して24時間テレビの裏番組ではない攻めた番組と言われるようになり、じゃあそう言った人たちがレギュラー放送の番組であることを知っているかと言われたときにおそらくは知らない人の方が多いんじゃないかと私は思いました。

そして私もこの年から「毎年毎年24時間テレビVSバリバラをやっていて正直どうなの?」と考えるようになり始めてブログで意見を述べさせていただきました。

その当時のブログがこれです。

 

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まあこれを書いて何か変わったかと言われたら正直何も変わりませんでした。

そしてそれからしばらくして、レギュラー放送回のバリバラにおいてこの時のバリバラの延長戦みたいな回がありました。

その時は24時間テレビの裏で紹介できなかったXジェンダー*2アセクシャル*3が紹介され、この時もまたクィアの外国人がジェンダー体操をやっていたりしたのですが、

正直24時間テレビの時ほど盛り上がらなかった。

これには正直私は遺憾を覚えました。「結局君たちは24時間テレビは感動ポルノだとかなんだの言ってるけれど、君たちも24時間テレビの時じゃないとバリバラの話しないんだ」と改めて思いました。

そんなわけで後にブログで私は怒りました。

 

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正直当時の視聴者からは呆れ顔みたいなところはあったのですが、私ほど怒っている人間はいなかったですし、福祉番組は普段関心を持たれないというのが福祉番組の性なんだろうなとは思いますけれど、あれだけ24時間テレビの時に話題にしていた人たちも24時間テレビを見ている人たちと大して変わんないんじゃねえか?って思いはこの当時強くあり、怒りの声を上げさせていただきました。

2020年

2020年、この年も相変わらず24時間テレビVSバリバラという対立はあったのですが、それ以前にバリバラ側で妙な動きがありました。

それは桜を見る会のパロディ回が放送されたことでした。

この回はレギュラー放送回ながら多くの視聴者を集め(特に左翼の方々から)

放送当時はハッシュタグがトレンド入りしたりもしていました。

しかし、この回が大きく話題になったのは一つの出来事があったからです。

それは、この放送が行われた週の再放送にて、放送が差し替えられたということです。

この放送が行われたのは2020年の4月、新型コロナウイルスが広まりつつあった頃で深夜放送の再放送回では新型コロナウイルスに関連した内容の放送が行われました。

これに対して左翼側は酷く怒り、アベの陰謀で差し替えられたとか自民党の圧力がかかったなどと意見を交わす人が現れたりしました。

これは私個人的な意見になるのですが、この回の放送が差し替えられたのは番組内においてソーシャルディスタンスが保てていない場面があったからだったからだと思います。

実際この放送においてソーシャルディスタンスへの配慮が無かったことをテロップにて詫びていましたし、コロナ禍の収録ということもあってソーシャルディスタンスの周知という点ではあの内容はよろしくなかったのではないかと思います。

まあ結果的に不自然な形で差し替えが行われてしまったという事実はあるんですけれど、少なくとも左の方が言っている圧力で差し替えとかいうわけじゃないと思います。はい。

そして夏の終わりなのですが、昨年に引き続き風俗嬢が出たりしてコロナ禍をテーマに語っていましたね。

そして視聴者層も相変わらずといった感じでした。

一方私はというと、この年もブログを書いていました。

 

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それで何か得られたかというと何も得られていないですし

「今年も世界を変えられなかった……」といった気分です。

そしてこの年から厨二ぶってドクペの箱買いを行うようになり、

毎年こうして夏の終わりにドクペ飲みながら溜息ついているのを振り返ると

同じ時間を延々と繰り返すタイムリーパーの気持ちというのがなんとなくわかってきたりします。(多分私が暁美ほむらだったら今頃ソウルジェム真っ黒けかもしれないです。)

2021年

2021年、この年はバリバラは今年も24時間テレビの裏で何かやるのかといった動きは8月に入ってもあまり見られずまあ無いのかなと思っていたらやっていましたね。

そしてこの年のテーマは「SDGsNHKをはじめ、民放等でも当時色々と騒がれていましたね。

私もSDGsは最初聞いたときSCP財団が何かかと思い、気になって調べてみたりしてブログを書いたりもしたわけなんですけれど

 

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まあ正直これ17個すべて達成できるとは思っていません。

というかSDGsという話題が出るたびに馬鹿にしていた印象がありますし、今でも若干馬鹿にしてます。

だって、2030年までに達成できるか以前に近いうちに誰も言わなくなりそうな未来しか見えないですから。

とまあそんなことはおいといて、バリバラではSDGsに対して「誰一人取り残さない社会」であると考え、在留外国人やアイヌの方が出演していたりしました。

アイヌの方が出る時に漫画のゴールデンカムイ*4が紹介されていたのを覚えていたりします。

そして私自身この回のバリバラは手話通訳が無かったのが残念だったと感じました。

「誰一人取り残さない社会」を謳うのであればまずは君たちから始めるべきであろうとそう思いました。であるからにして番組内容的に手話通訳の必要性は低いとはいえど、手話通訳を付けることが誰一人取り残さない番組になりえたのではないかと放送を見て思いましたね。

それとこのSDGsというテーマ、深夜でやるよりかはゴールデン帯で誰もが見やすい時間帯でやるべきであったとも思いました。誰一人取り残さない社会について何故深夜に考えなければいけないのか。(放送時間帯的に難しいからかもしれないが)番組制作側は考えてほしかったです。(とはいえ24時間テレビの時じゃないと視聴率稼げないのは明らかなので無理でしょうけどね。)

そして私はこの年何をしたかというとまずブログを書くのはやめました。はっきり言って無駄だから。

ただ、なんとなく夏の終わりに近い内容のブログを書いていたのは覚えています。

 

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というのもこの年東京オリンピックがあって、始まるまでの間もやもやとしていたんですよね。

皆さんの中にも開会式が始まるまで東京オリンピックに対してもやもやとした気分があった人もいたでしょうけれど、それがなんとなく夏の終わりの24時間テレビVSバリバラと妙に近い雰囲気だったのを覚えています。

そして、私は夏の終わりにブログを書くのをやめて何をしたかというと当時Twitterに実装されたばかりだったスペースという機能を使って皆さんとお話していこうと考えました。

以前から私はラジオっぽいことをやってみたいと思ったことがあり、実際夏の終わりもラジオっぽい雰囲気で文章を書いてみたりしていたわけなんですけど

こうして声を出して皆さんと語り合うという事はこれが初めての出来事でした。

しかし、昨年の夏の終わりのスペースの参加者は誰一人いませんでした。

そしてこれが最近よく言っている「フォロワー3000人いるけれどスペースにほとんど人が来ない」ということを考えさせるきっかけだったりします。

実際その当時はフォロワー数を考えてはいなかったんですけど、フォロワーさんに指摘されて改めてフォロワー4桁という数字の大きさというものを実感しました。

そして2022年

そして今年、私は「シン・夏の終わり」と題して全5話の連載を書かされました。

正直書きたくは無かったんですよ。こんなことやっても無駄なので。

だって去年のスペースの散々な結果を見てもらえれば分かると思うんですけど、

自分の意見なんて聞いてくれる人は少ないと思うんですよ。

だからこそ、今年はリベンジみたいな部分もあったりします。

ブログもやりますし、スペースもやります。

私としては毎年毎年24時間テレビVSバリバラが異様に盛り上がって一つの夏の風物詩と化してしまうことには疑問を呈したいです。

しかしこればかりは私一人の力ではどうしようもできません。

これを読んでいる一人でも多くの方々が私の声を聴いてくださり、

バリバラはレギュラー放送でもやっているんだぞって分かってくださるだけでもありがたいです。

皆さんの力が無ければ今年も「ああ、世界を変えられなかった」とか呟きながらドクター・ペッパーを飲んでいるだけの夏になりそうです。

是非とも今年の夏の終わりは成功させたいです。

それでは来週からシン・夏の終わり第壱話がはじまります。

そちらでお会いしましょう。じゃあね。

 

 

 

*1:クィア:元々は「風変り・奇妙な」を意味する単語。性自認が男性でも女性でもなく、自分の性別が一つに定まっていないと考える人。

*2:XジェンダーXジェンダーの人は日によって心の性が男性になったり、女性になったり、どちらでもなかったりすることがある。

*3:アセクシャル:他者への性的欲求を抱かない人。

*4:ゴールデンカムイ:2014年から2022年まで「週刊ヤングジャンプ」にて連載されていた冒険活劇漫画。日露戦争終了後の北海道を舞台に、アイヌの人が残した金塊を求めて主人公の杉元佐一とアイヌ民族のアシㇼパらが旅をする。アイヌ文化の描写も細かく、教養として読むのもいい。