人生を変えたジャンルpart25:太鼓の達人編#3

前回↓

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前回のまとめ

KAGEKIYO、さいたま2000等太鼓の達人の歴史を作った楽曲が多く追加された三代目を遊ぶ→三代目のみならず二代目も購入→四代目にてRidge Racerにハマる→五代目にてゴーゴータイム等現在の太鼓のシステムに近づく→六代目(ここ)

六代目

そして2005年の冬、わいわいハッピー六代目が発売されるわけなのだが、それ以前にも2005年にはPSPにて「太鼓の達人ぽ~たぶる」が発売され携帯機初の太鼓の達人が発売、そしてPS2にて「とびっきりアニメスペシャル」が発売される。

当時はDSもPSPも持っていないので太鼓の達人ぽ~たぶるに関しては1作目はやらなかった。

そしてとびっきりアニメスペシャルに関しては当時パワプロにハマっていたこともあってか購入することは無かった。

このアニメスペシャル、アニソンを中心とした収録楽曲なのだが太鼓の達人としては初めてアイドルマスターの楽曲を収録*1したり、ナムコオリジナル楽曲において水木一郎影山ヒロノブを起用するなど豪華な内容であった。そして本作の最難関は「快晴・上昇・ハレルーヤ」*2

所謂高速地帯と呼ばれる難所が存在しそのBPMは460。これは当時としては最速で通常時のBPMも230とのちに当時最難として登場するアレとほぼ同じぐらいの速さであった。

のちにこの高速地帯はEkiBEN2000にて引用されるわけでそっちの方が知名度は高いが遊戯王の曲が太鼓の達人に収録されるというだけでもかなり衝撃的だったのは当時感じていた。(他社が他社なだけあって)

そんなわけで本心ではこの「快晴・上昇・ハレルーヤ」がどれだけ難しいのか気になっていたりしたわけなのだが、やはりアニソンだけってのが食指が動かなかったのか、やることは無かった。

そんなわけで冬に六代目を購入し、本作にてPSPにて初めて登場した「よくでる2000」と出会ったり新たな2000シリーズである「タベルナ2000」と2つの2000シリーズに出会い正直この2000シリーズが2つというのはきつさみたいなものを感じていた。

本作の収録楽曲ではJ-POPにおいて「前略、道の上より」*3が星9ということもあってかなりやり込んでいた。

また、アニソンに関してはアニメスペシャルの発売もあってかED曲が多く収録される形となった。

そして本作からゲームミュージックがジャンルとして独立することになり

XEVIOUSゼビウスが好きということもあってよくやっていたし、バーニングフォースメドレーも好きだった。

そしてナムコオリジナルの「真・画竜点睛」は低速地帯の24分で苦戦していた覚えがある。

タベルナ2000についてはのちに本楽曲が様々な楽曲からの引用で構成されていることをしり、実はここで初めて「風雲!バチお先生」の65連打を知ったりさいたま2000の達人譜面引用部をBPMの遅さを利用してのちのぽ~たぶる2にてひたすらに練習するきっかけにもなったりした。あとはソウルキャリバーⅡとかメカデス。とか基本的に三代目で難しかったやつを徹底的に練習することの大事さや再認識させるきっかけになったともいえる。

七代目

そして2006年。PSPにて「太鼓の達人ぽ~たぶる2」が発売され、太鼓の達人がインフレするきっかけとなったあの楽曲が牙を剥くことになる。

それが「きたさいたま2000」である。

https://silentblue.remywiki.com/images/0/0c/Kita_Saitama_2000.png

222という速いBPMとゴーゴータイムの複雑な配置は当時のドンだーを苦しめ、太鼓の達人最難関楽曲として登場することになった。

これほどまでに難しくなった原因として当時太鼓チームに所属していたタカハシ氏によると「(PSPは)バチではなくボタンで遊ぶため、ボタン操作を想定して難しくした」ということで、譜面制作を担当したタカハシ氏でさえ、クリアできないとまで言われたほど。

そして初出時はフルコンはおろかクリアできた人も極少数と言われたぐらいでまさに「太鼓の達人のインフレの始まり」を象徴するかのような楽曲と言えるであろう。

そしてこのきたさいたま2000は太鼓の達人を代表する楽曲ともいえる立ち位置となり2014年に行われた「天下一音ゲ祭」において他社の音ゲー機種に移植されることとなった。

そんなやばい楽曲が七代目に収録されるとなったわけで、当時小学生の私は戦慄としていた。(一生クリアできない楽曲が出てきたぐらいには感じていた。)

そして満を持してPS2最後の太鼓の達人となるドカッ!と大盛り七代目が発売される。

本作には初の999コンボの楽曲として登場したJ-POPの紅、裏譜面が有名なやわらか戦車涼宮ハルヒの憂鬱のED曲「ハレ晴レユカイ」が収録されるなどなかなかに濃い収録楽曲であった。

そして「きたさいたま2000」とともに「十露盤2000」も収録され、音楽とは言い難い内容の曲は割と楽しめたと言える。

そして七代目最大のポイントは「わくわく冒険ランド」

これはストーリーモードみたいな感じのやつで太鼓の達人のステップアップとして楽しめる作品であった。

本モードのED楽曲として「伝説の祭り」が登場し、古のドンだーの中では神曲と称されることも高い。

そしてこのわくわく冒険ランド、上級者にはかなり癖のある難易度としてもしられ

「紅の最大コンボ数999」*4や「ハレ晴レユカイフルコンボ」などは小学生時代かなり苦しめられた。

そしてなんといってもわくわく冒険ランドを代表するものと言えば太鼓タワーである。

これは一定のミス回数以内に叩ききることでタワーを登りきるモードなのだが、その太鼓タワー9というのがのちにAC11以降裏譜面として登場するやわらか戦車であった。

今となっては体力譜面として知られるやわらか戦車(裏)なのだが、当時のドンだーはこれを5ミス以内で叩かされていたため小学生の私はまあ苦しんだ。

しかもこれが太鼓タワー9ということもあって100%クリアするにはこれを越えなければならないというだけあってまあ辛かった。(一応太鼓タワー9と10はクリアしてるが。)

音ゲー事情を知る

そんなわけで七代目にていよいよインフレ化が進んできたこともありドンだー達は攻略を進め、この頃から私はインターネットの掲示板等を見たりなんかもしながら色々と情報を集めていくことになる。

今となれば「太鼓の達人譜面とかwiki」なんかが話題だったりするがそれ以前から知名度の高かったサイトを良く閲覧していた。(名前出したら分かるぐらいには有名なところのはず)

そしてそこの掲示板にて他音ゲーの事情を知ることになる。

当時というのはbeatmaniaⅡDXにおいて「冥」*5が初めて登場したころ(2005年)であってその冥があまりにも難しいということで大きな話題を呼んでいた。

今思うときたさいたま2000の初出時も冥と同じぐらいの影響力はあったのかなと思う気がしている。

また、ポップンミュージックにおいて撫子ロックこと「凛として咲く花の如く」(2007年)が登場し、ポップンミュージックだけは名前は知っていただけあって和風ロックというジャンルに興味を持っていた。

そんなわけで当時自分は他機種の音ゲーには興味は持たなかった(しいて言うなら管理人さんが好きだったポップン以外)わけでなんとなく冥って曲が(音ゲーで一番)むずいとか太鼓チームのタカハシさんはポップンが好きなんだ(というかナムコ社員でありながらコナミ音ゲーが好きだったりする)ぐらいに考えていた。

まあそれからしばらくして私がコナミ音ゲーをやるようになるとは当時は知る由もなかった。

そんなわけでPS2での太鼓の達人は七代目で最後となるわけなのだが据え置きハードではWiiに移行する。

自分はSwitchを購入するまでは据え置きハードとは疎遠だったわけで据え置きハードでの太鼓の達人はこれが最後となるわけでその後はDSとPSPで遊ぶことになる。

次回に続く。

 

 

 

 

 

*1:実はこの当時はアイドルマスターもAC版がまだ稼働したてだったりする。

*2:快晴・上昇・ハレユーヤ:遊戯王デュエルモンスターズGXの第1期OP。太鼓の達人においては当時アニメジャンルにおいて最難曲とまで言われた。現在ではSwitchのドンだフルフェスティバルにおいてサブスク配信楽曲として遊ぶことができる。

*3:前略、道の上より:1984年にリリースされた一世風靡セピアによる楽曲。哀川翔が所属していたことでも知られる。

*4:紅のコンボ数は999なのでフルコンボが求められる

*5:冥:beatmaniaⅡDXにおける最難関楽曲。作曲者はdj TAKAの別名義である「Amuro」と太鼓の達人において世阿弥として知られることになるTatshの別名義「Killer」段位認定においては皆伝の最終楽曲として現在もなお君臨し続けている。

人生を変えたジャンルpart25:太鼓の達人編#2

前回↓

 

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前回のまとめ

音楽番組にて太鼓の達人を知る→やりたいと思うも機会はなかった→母親がテレビで太鼓の達人を見て購入→太鼓の達人を始める

 

三代目と春祭り(PS2二代目)

というわけであっぱれ三代目から太鼓の達人を始めることになった私は最初のうちはドドドンのような16分の三連符すら叩けない状態であった。(というか見づらいとまで思ったほどだ。)

そしてこの頃と言えばさいたま2000もそうだがKAGEKIYOも難しいと言われていた時期で60小節目からのドン カドドカ ドドカ ドドン カドドンのリズムはこれまでの小節にはないリズムであることとカドドカが縁から入ることなどで脳がバグを起こしていたりもした。

実際当時はこの譜面を目隠しでクリアできるだけでもすごいなんか言われていたしKAGEKIYOのコンボ数765は当時最多とも言われていた。

でまあ鬼なんてクリアできるわけないよと思っていてゲーセンで太鼓の達人とかをやってもせいぜい普通ぐらいまでしかできなかったわけなのだが、そのゲーセンで遊んだ際にたまたまうまい人が夏祭り*1のドンだフルコース*2を遊んでおりそれを見た母親が三代目以前の作品も買ってみようかなと思ったところから前作「ドキッ!新曲だらけの春祭り」を購入することになった。

本作には夏祭りは収録されておらず、収録曲も今見るとミニモニ。とか入ってたりでまあ時代を感じるなーと感じるラインナップだったわけで、夏祭りの入っているPS2の初代の方も買いたかったんだけどサザエさんの楽曲が収録されているという理由で父親がサザエさん症候群*3を引き起こすからという理由で買わなかった。

しかし、自分にとってこの2作目に収録されていたウィリアムテル序曲が曲を知っていることもあってかドドドン ドドドン ドドドンの16分が叩いていて気持ちが良いと感じた。そしてこの頃から少しずつ16分の3連のリズムを掴んできたといえる。

実際鬼譜面も(フルコンボは無理だけど)なんとなくクリアできるようになってきたのはこの頃からだったと思われる。

四代目

そしてその年の夏、あつまれ!祭りだ!!四代目が発売される。四代目の情報を知ったのはたまたま病院においてあったコロコロコミックの情報からだった。

太鼓の達人としては本作にて和田どんの声優が山田ふしぎさんから現在のならはしみき*4さんへと変更されたり、フルコンボを取った際に「フルコンボだドン!」と言うようになったりナムコオリジナルがジャンルとして設立されたり演奏画面も綺麗になり現在のものに近くなった。

この頃になると簡単や普通譜面ではフルコンボを取れるようになり「フルコンボだドン!」が聞きたくてとにかくフルコンボを取ることを目標にひたすら演奏をやり直すなんてことも子供ながらにするようにはなっていた。

そして本作の最難関曲はケチャドン2000。ケチャ*5なんて音楽ジャンルを知らなかった自分にはガチャピンかなんかだと思ったし2000がシリーズとして定着するとも思ってなんかいなかった。

ケチャドン2000は基本BPMが200以上ということもあって当時の自分には速すぎてついていくことは難しかった。

しかし、この四代目について思い返してみるとリッジレーサーの楽曲が収録されたことが大きなモチベーションにつながったと思える。

前回も少し語ったが自分はナムコのゲームが好きでリッジレーサーも音楽はもちろん好きだった。

Ridge Racerの音楽に合わせたドンとカッの譜面配置は叩いていて楽しかったし叩けるようになりたいと思いながら叩いていた。

そしてRare Heroの方も良い譜面していたしPSPの2作目ではよくやっていたような気がする。

五代目

そして冬になりゴー!ゴー!五代目が発売される。

五代目に関しては従兄弟がコミックボンボン*6を持ってきたことによって知ったのであった。(これが無かったら五代目以降の太鼓の達人を買っていなかった可能性もあった。)

当時はコミックボンボン太鼓の達人の4コマ漫画が連載されていたりなんかもしていて子供ながらにボンボンを読んでいた従兄弟が羨ましかった。

システム面の話ではサブタイトルにも冠されている「ゴーゴータイム」の実装。くす玉音符の原型ともなる芋音符の実装があげられる。

そして夏祭りが再び収録され、この作品で初めて夏祭りを遊ぶことになった。

この作品の収録曲と言うと冬のソナタの「最初から今まで」や「瞳を閉じて」といった低速BPMの曲が出てきたのが特徴で、とくに最初から今までに関しては現在でも太鼓の達人において最遅とも言われている。

そして画竜点睛から始まる四字熟語(公式にはぶとうシリーズ)のシリーズが登場し、連打によって譜面が3つに分岐するというのと太鼓の達人にふさわしい和風な楽曲であることもあって楽しかった。

あとミニゲームも結構好きでチーターになってダッシュで帰宅するやつとかは好きだった。

この作品の最難関楽曲は「恋文2000」今思えばドカドカをやり続けるだけという印象があるがやはりBPMが速いだけあって一般人にはきつかった。

あとはタイトーニンジャウォーリアーズの「DADDY MULK」が収録という他社の作品からのゲーム音楽が収録されることになったのも印象的で曲が良いこともあってか結構遊んでいたし、太鼓の達人がきっかけでダライアスの「CAPTAIN NEO」を知ったり(曲を聴くために)原作をアケアカで遊んでみたりなんかもするようになった。

そして、六代目と七代目も買うようにもなり(今思えば)小学生の頃は太鼓の達人ばかりする人間であったと思われる。

そしてそれと同時に太鼓の達人もだんだんと難易度が上がっていき・・・

現在のインフレの原点ともいえる楽曲が登場することになる・・・

次回へ続く。

 

 

 

 

*1:夏祭り:太鼓の達人においてはWhiteberryによるカバー版が太鼓の達人2からアーケード版の全ての作品に収録されている。なお現在はカバー元であるJITTERIN'JINNによるバージョンも収録されており、そちらはなんと裏譜面(☆10)が存在する。

*2:ドンだフルコース:アーケード版の太鼓の達人6以前の最難関コースで現在の鬼に相当する。

*3:サザエさん症候群サザエさんを見ることによって日曜の終わりを感じ、憂鬱な感情に陥ること。

*4:ならはしみき和田どん以外ではクレヨンしんちゃんの野原みさえの声やちびまる子ちゃんのみぎわさんの声をやっていたりもする。

*5:ケチャ:インドネシアのバリ島で歌われる男声合唱

*6:コミックボンボン:1981年から2007年まで発行されていた講談社の児童向け雑誌。小学館コロコロコミックの対抗馬として誕生しガンダムを中心としたラインナップでコアな読者を集めた。

人生を変えたジャンルpart25:太鼓の達人編#1

前回↓

 

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子供の頃から数えて20年近く同じゲームやっているのってすごいような――

昔も今も遊んでいて楽しい――

太鼓の達人というゲームを好きでいて本当に良かった――

 

4年前の2月29日、うるう年と共にコロナ禍をむかえ、何か明るい話題を伝えたい。そして今となっては推しプレゼンと化しているこの人生を変えたジャンルも4年の月日を経てpart25へと到達した。

今回紹介させていただくのは「太鼓の達人

https://taiko.namco-ch.net/taiko/images/top/img_mv.jpg

2001年2月21日にアーケードゲームとして稼働したナムコ音楽ゲームだ。

日本の文化的な楽器である和太鼓を模した入力デバイスと横から流れてくる「ドン」と「カッ」の音符を叩くというシンプルなゲーム性は、子供から大人まで老若男女問わず広く親しまれているゲームである。

そのゲーム性からゲームセンターに行けば大体目立つ位置に置いてあり、ゲーセンに来てなんとなく遊ぶという人も多いのではないだろうか。

そんな太鼓の達人も今年で登場から23年ということで長い歴史を持つゲームになった。

私は子供の頃から太鼓の達人が大好きで、今でもSwitchやAC版を遊んだりしているわけなのだが、ふと振り返ってみたときに「思えば自分は太鼓の達人を20年ぐらいやっている」と感じるに至った。

20年と聞くと野球やサッカーなどのスポーツの世界ではベテランの域にまで達する年月であり、一つのゲームをこれほど長くまで遊んでいたのは(太鼓の達人以外)多分無いと思った。

そして今回の人生を変えたジャンルでは改めて自分と太鼓の達人の20年の歴史を20年史的な感じで振り返ってみるのはどうだろうかと考えた。

そんなわけで長々となったが今回は太鼓の達人との出会いから今に至るまでの太鼓の達人について私が覚えている範囲で語っていこうと思う。

なお今回は(人生を変えたジャンルとしては初めて)複数のパートに分けての投稿を予定している。長尺となるがついてきていただけるとありがたい。

太鼓の達人との出会い

私と太鼓の達人との出会いは小学生の頃。

テレビのある音楽番組(確かダウンタウンがMCをやっていたので「HEY!HEY!HEY!*1だったはず。)にて「太鼓の達人」でアーティストと対決する企画というのが放送されたのが始まりだった。

当時はまだ太鼓の達人も出たばっかりの頃で珍しさもあり、当時の自分は「世の中にこんな面白いゲームがあるのか」と子供ながらに感じた。

おそらく当時の自分が太鼓の達人に惹かれた要因は2点あった。

1点目は「お祭りとかそういった雰囲気が好き」ということ。

これはお祭りの縁日とか祭囃子なんかが好きだったというのももちろんあるが、情操教育的な観点で和太鼓の演奏というのを目にする機会というのは多く

和太鼓というものが日本人に馴染みが深いものであると同時に「なかなか演奏できるものではない」とも思ったりもした。

そんな中現れた太鼓の達人は楽しいお祭りの雰囲気と和太鼓を演奏するという当時の自分にとって夢のようなゲームが現れたように感じた。

2点目は「ナムコのゲームである」ということ。

私はファミコンの頃からゲームを遊んでいてスーファミ、プレステと遊んできており

その中で面白かったゲームというのが大体ナムコのゲームであった。

ファミコンであればパックマンゼビウスマッピー*2

スーファミであればファミスタ*3

プレステならリッジレーサー*4、鉄拳*5風のクロノア*6などなど・・・

ナムコのゲームに触れる機会というのは多く子供ながらにナムコのゲームであれば安心できるという感覚はあった。(今のバンナムと比べると信じられないかもしれないが)

それ故にナムコミュージアムで過去のナムコのゲームを遊んだり今ではコレクションとしてアーケードアーカイブスにてナムコのゲームを買ったりしていたりする。

そんなこともあってか太鼓の達人を知った私は遊びたいという気持ちが非常に強く、親とジャスコとかに行った際にやりたいという気持ちはあったものの当時は気持ちを抑えながら生活していた。

太鼓の達人を買う

そんなわけでやりたくてもやる機会が無かった私なのだが小学3年ぐらいの時に転機が訪れる。

年末ぐらいの頃にテレビにて太鼓の達人が紹介されておりそれを見た母親が「やりたい」と言ったのであった。

この頃というとちょうどドンキーコンガ*7が発売された時期で今は無き新潟のソフマップ*8にあった試遊台をよく遊んでいた。

そんなこともあったのかは知らないが母親の一声で太鼓の達人を買うことになった当時の私は嬉しくてその日は夜も眠れず深夜の2時ぐらいに目が覚めて、予めセットされていたタタコンでドンドンと叩いていた。(もちろん夜中にやるものではないので気を付けよう。)

そしてこの当時の太鼓の達人の最新作というのが「あっぱれ三代目」で、この作品には太鼓の達人を代表する2000シリーズの最初の楽曲である「さいたま2000」、源平討魔伝*9メドレーの「KAGEKIYO」、本作のボス曲的立ち位置であった「メカデス。」が収録され今もなお太鼓の達人を代表するナムコオリジナル楽曲やゲーム音楽が収録されていたり、

クラシックではカルメンベートーヴェンの運命が収録されるなど太鼓の達人の歴史の中で一つの時代を作ったかのような作品である印象がある。

そしてこれ以降私は毎年のように家庭用の太鼓の達人シリーズを購入し遊んでいくことになる。

その話は次回。

 

 

 

*1:HEY!HEY!HEY!:1994年から2012年までフジテレビにて放送されていた音楽番組。

*2:マッピー:1983年に稼働開始したナムコアーケードゲーム。ニャームコによって盗まれた盗品を警官のマッピーが回収するというアクションゲーム。

*3:ファミスタナムコから発売されている野球ゲーム。

*4:リッジレーサー:1993年に稼働開始したナムコのレースゲーム。プレイステーションのローンチタイトルとして発売され人気を博した。

*5:鉄拳:1994年に稼働開始したナムコの3D格闘ゲーム。2024年に最新作となる「鉄拳8」がリリース。

*6:風のクロノア:1997年にプレイステーションにて発売されたアクションゲーム。2段ジャンプした際の「わっふ~」などといったファントマイル語と呼ばれる架空言語を代表とする独特な世界観が特徴的。現在では「風のクロノア1&2アンコール」としてPCやSwitch等現行機にて1と2を遊ぶことができる。

*7:ドンキーコンガ:2003年にゲームキューブにて発売された音楽ゲームドンキーコングシリーズの世界をベースに「タルコンガ」と呼ばれるコンガ型のコントローラーを用いて遊ぶ。のちに「ドンキーコングジャングルビート」というタルコンガを使用したアクションゲームが発売されたり現在では死にゲーとして知られる「SEKIRO」をタルコンガでクリアした人が現れるなど話題を集めている。

*8:ソフマップ:パソコン製品を中心に販売する家電量販店。

*9:源平討魔伝:1986年に稼働開始したナムコのアクションゲーム。通常の横スクロールアクションに加えキャラクターが大きくなるBIGモード、見下ろし視点の平面モードの3種類のゲームモードで構成されている。現在はアーケードアーカイブスにて配信中。

娑婆の匂い

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/23/Blizzard_Entertainment_Logo_2015.svg/800px-Blizzard_Entertainment_Logo_2015.svg.png

はじめに

どうも、piraです。

先日横濱篇が終わりまして、わっしょいDirectにて予定していたメインコンテンツの一つがようやく終わって少し心に余裕ができたって感じです。

さて、今回は最近私が良く口にする「娑婆の匂い」の話でもしようかなと思います。

皆さんは今までで一番やり込んだゲームってあったりしますか?

なんでもいいです。一つ思い浮かべてみてください。

コンシューマーのゲームで何十時間、何百時間(もしかしたら何千時間以上)遊んでいるという熱心なゲーマーの方もいたりしますかね?

一方でスマホゲームを毎日少しの空き時間にちまちまやるなんて人もいたりするかもしれないです。

そうしたゲーム、もはや生活の一部とまでなっているゲームってやっていると落ち着きませんか?

私の場合は「ハースストーン」がまさにそうでした。

https://d39zum0jwvcigt.cloudfront.net/_next/static/images/logo-cff0cd286c29edd7376e6d6a64f6d834.png

そして生活の一部というかほぼ毎日やっていました。

ハースストーンを遊んでいた当時というのはシャドウバースが国内でかなり大ヒットしていた時代で私はカードゲームがとにかく下手くそで、強くなって認めてもらいたくてとにかくランクをひたすらに回し続け、なんなら三度の飯よりハースってなぐらいでひたすらにやり続けていましたね。

そんなわけでハースストーンばかりやっていて、社会人一年目になり金を持ち始めるととにかく強いデッキを作るために課金したり、仕事以外の時間はとにかく人権とまでいわれるランクに辿り着くためにすべての時間(なんなら電車の通勤時間だけじゃなくて駅に向かうまでの路上なんかも含め)をハースに費やし、それはもう依存とか中毒とか廃人とかもうありとあらゆる言葉で言い表せるような状態にまでのめり込んでいました。

そんな経緯もあって会社を辞めることになるんですけれどもそれでもハースストーンだけは親に内緒でコソコソやっていて寝食忘れてのめり込んだり、とにかくランク、人権ランクは絶対。そして最高ランクであるレジェンドに到達しては「どけ!俺はレジェンドだぞ!」と当時あまり仲が良くなかった親と言い争ってのめり込んだくせしてゲームをやらせろと言いたいまでに威圧してみたり……

とまあ自分にとって至れり尽くせりみたいな思い入れがあったりするゲームなんですよね。

娑婆の匂い

そんな会社をクビになったり、親と揉めたりぐらいには廃人レベルでのめり込んでいたハースストーンっていうゲームなんですけど、2020年ごろ(多分一人暮らしを始める頃ぐらいかな)になると次第に離れていったんですよね。

その原因が「コロナ禍」だったんですよ。

私はレジェンド到達後あたりから段々燃え尽きたようになり、「とりあえず人権ランク行っとくか」ぐらいな感じでやるようになっていって。

当時大好きなプロの音ゲーマーのゲーセン配信を見つつハースストーンをやるってなライフサイクルで楽しんでいました。

しかしコロナ禍になり外出自粛によってその方がゲーセンから配信をしなくなって次第にハースストーンに対するモチベーションも下がっていきました。

まあこの頃はゲームより別の事を優先していたというのもあるんですけれどコロナ禍で当たり前のようにあった日常が無くなっていったことに辛さを覚えたんですよ。

そしてこの頃からSwitchを購入し、スマホゲームで遊ぶ機会も次第と減り(というかのめり込んでいたこともあって控えていたという点もある)ハースストーンは昔ほど遊ばなくなっていきました。

そんなある日、コロナが少し落ち着きを見せた頃に私は再びハースストーンをやろうと思い至ります。

そして、メインメニューを開いたらですね。ものすごく懐かしい雰囲気に包まれたんですよ。

なんといったらいいんでしょうかね。実家のような安心感というか親の顔より見た光景というか……

そんなわけですっごい心が落ち着いたんですよね。ハースストーンってゲームを触っただけなのに。

そして私の中で一つ思ったことがありました。

それが「ムショから出た人が感じる娑婆の空気ってまさにこれのことなんだろうな」と。

こういうと「ただのゲーム依存なのでは?」と思われるかもしれないですけれど生活の一部というレベルにまでのめり込むとそれが体に染みついちゃっているんですよね。

そして私の場合はそのゲームをやりたくてもやらない期間が長かった。だからこそ久々に戻ってきた時に娑婆の匂いのようなものを感じたんでしょうね。

同社のオーバーウォッチが流行り始める

結局今となってはハースストーンは昔とは比べ物にならないぐらいゲーム性が変わり果ててしまって今のハースストーンに戻ろうかなという気持ちはほぼ無いみたいなんですけれど、最近になってある出来事が起きました。

これが、3月になってから配信者がこぞってオーバーウォッチをやり始めたということなんですよね。

オーバーウォッチというのは5人対5人のチームでやるFPSなんですけれど、実はこのオーバーウォッチってのを開発しているのがハースストーンを開発したBlizzardって会社なんですけれど同社のゲームが盛り上がってくれるということはハースストーンにかつてのめり込んでいた私からしたら非常にありがたいことのように思えるんです。

というのも日本においてBlizzardのゲームというのは私の目から見ると正直マイナーよりなのかなと思います。

海外の企業というのもあるんでしょうけれど、ハースストーンよりシャドウバースとかいう萌え萌えエロメンコパクリゲーの方が流行っているのを見るとやはりとっつきにくさはあるのかなあとか思ったりなんかしてですね。

そんなのあって古くからハースストーンとかでお世話になっておりもはや娑婆の匂いがするまであるBlizzardのゲームが少しでも日本で話題になってくれれば私にとって嬉しいわけで、もうパチンコ以上に脳汁が出るんですよ。

そしてそんなBlizzardのゲームに興味を持ったのがきっかけで最近になって少し前に買ったSwitch版のディアブロⅢを遊んでいたりするわけです。

このディアブロというゲームもですね。ハクスラ*1というゲーム性のせいでハースストーンと同じぐらい中毒性があることは分かっていてなかなか遊ぶ機会が無かったりするのですが、スペースとかで雑談しながらできるぐらいにはポチポチ遊べるので良いゲームだなと思いました。(もちろん娑婆の匂いがするというのもある。)

そしてなにより娑婆の匂いなので落ち着くんですよね。この前なんかパチンコ負けた日の心をディアブロが癒してくれたりもしましたし。

まとめ

そんなわけでオーバーウォッチでやや熱気を取り戻してくれるといいなーと思い娑婆の匂いを吸うに至ったわけなんですけれど。

実はBlizzardって近年セクハラ問題があったりなんかしたせいで正直怪しい部分もあったんですよ。(この辺はここでは語らないのでググってください。)

そんなわけでハースもクソゲー化してるしBlizzard大丈夫かなと思ったところに大きな波がやってきたわけなのでオーバーウォッチが盛り上がってくれればいいなーと思っていたりなんかします。

そしてオーバーウォッチだけじゃなくてハースストーンもね、何かのきっかけで盛り上がってくれたりしたら嬉しいかなと(さすがに無理があるだろうけど)

そしてディアブロもⅣやってみたさはあるけど今のPC環境じゃ無理なのでⅡのリメイクとかⅢとかやって娑婆の匂いを吸っていきたいですね。

そして最後まで付き合ってもらってあれなのですがデスナイトとか言うクソクラスが消えない限り私はハースストーンはやらないので。そのところは覚えておいて欲しいかな。

まあ今のハースストーンを一度作り直したら考えるかもってな感じですかね。

それでは今回はこの辺で。

 

*1:ハクスラ:ハック・アンド・スラッシュの略。ひたすら敵を倒し性能が良い武器を手に入れることを目的とした遊び方を指す。

piraが如く横濱篇part8(最終回)

前回↓

 

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家系ラーメンを食べに行こう

中華街を満喫した後横浜に来たなら家系ラーメンでも食べようかなと横浜駅に戻りました。

でまあどこでもいいからチェーンっぽさが薄い家系ラーメンを探し家系っぽい店で食べました。

家系ラーメン自体は実はそんなに食べたことが無くて、なんというか新潟にいて家系ラーメン食う機会ってそんなにないし家系以外にも普通にうまいラーメン多かったりするのでなんとなく初めての経験だったわけなのですが、やはり濃厚な豚骨スープと圧倒的存在感を誇る極太麺が美味しかったですね。

そして初めて家系を食べたみたいな猫ミームを少し前に見たことがあって無料のライスにスープかけて食べるとうまいという話を聞いていて少し普通に食べたあとで騙されたと思ってスープと共に食べたらめっちゃ美味かったです。

そしてあまりの美味しさからチピチピチャパチャパと首を振る猫のような気分になりまさにハッピーハッピーハッピーってな感じで昼食を終え、この後は(もっと横浜にいたかったですが)池袋へと向かうことになります。

しかし、この時チピチピチャパチャパに支配されてしまうことになるとは私はまだ知る由もなかったのでした。

池袋

昼食を食べてから池袋へ向かった理由なんですけれど。

ちょうどその日の朝ぐらいに「ニューサウンドパフォーマーズ」という太鼓の達人をパフォーマンスしながらやる集団みたいなのが池袋で配信するとX(旧Twitter)上で投稿していたので、テレビとかで見ていたこともあって一度生で見れるなら見る価値はあるよなと思って池袋へ向かいました。

そしてその前にポケモンセンターメガトウキョーへ行きマイピカチュウを探したのですがやはり無かったですね。(いつか再販してほしいです。)

そしてしばらく迷子になりつつGiGOへと向かいました。

で、パフォーマンスを見させていただいたわけなんですけれどすごかったですね。

なんだか、本物の和太鼓の演奏の見ているような気分でした。

音ゲーってもちろんスコアを詰めたり、精度を詰めたり、なんなら段位を取ったりとまあ実力や腕前を上げるというのが主な遊び方だったりするのですが、やっぱ太鼓の達人をこういったパフォーマンスとして遊ぶというのも楽しみ方の一つとして見てて良いものを見れたなーと思いました。

そして帰りの時間までは自分も太鼓の達人をやったりパフォーマンスを見たりって感じで過ごしました。

新幹線

そして新幹線に乗って帰るわけなのですが、何故かこの日ずーっと頭の中をチピチピチャパチャパが駆け巡り頭の中でずっと首を振っている猫がちらついており、笑いをこらえれなくて辛かったです。

おそらく酒が入っていたからというのもあるのですがずっとチピチピチャパチャパの事ばかり考えていたせいでニヤニヤしてしまったりして本当に辛かったです。

そして酒飲んだりホタテの貝柱で飛んだりしていたらあっという間に新潟まで着いてしまってせっかく持ってきたSwitchをそんなに触れなかったのが残念でした。(というかSwitch本体は重たいし、本読んでる機会が多かった。)

まとめ

というわけで無事2泊3日の長い横浜旅を終えることができました。

今回は1日ごとに良いものを見れた3日間だったと思いました。

1日目のミライ小町生誕祭ではナムコの楽曲を聴きつつ改めてナムコ作品の魅力に触れるきっかけにもなりましたし。

2日目のレックウザの龍舞は本当に迫力があって圧巻でしたし、祝舞遊行も豪華絢爛って感じで貴重なものを見れました。

そして3日目は未来の乗り物を見たり中華街を満喫でき、太鼓の達人のパフォーマンスを生で見れたのは良かったです。

今回の横濱篇では初めて横浜へ行き主に中華街を回ったわけで、みなとみらいとかは行きはしたけどマップ到達率的には全然だなーと思ったしなんなら未来の乗り物に乗って赤レンガ倉庫とかあの辺回ってみるのもいいかなーと思ったりもしましたね。

あと東京もまだまだ行きたいところあったりするのでまた行ってみたいなーという気分にもなりました。

さいごに

そんなわけでpiraが如く横濱篇は今回で終了になるのですが最後にレックウザのナノブロックを上げて終わりにします。

私は本棚の上に様々なポケモンのナノブロックを飾ったりなんかしていたわけなのですが

1月の能登半島地震でそのほとんどが倒れ崩れてしまいました。

レックウザも(一度は作ったのですが)被害を受け、置くスペースを考えた際に「ナノブロック作るのはもうやめようかな」ぐらいに思っていました。

しかし、自分ってなんだかんだでレックウザと縁があるなーと思いまして

初めて行ったポケモンセンターが「ポケモンセンタースカイツリータウン」でしたし、今回のレックウザの龍舞も春節であるということを知らずに横浜に行き、コラボなんていうめったにない機会に見れたことも本当に大きく改めてレックウザのナノブロックを買いなおそうかと思ったりしました。

そしてこのレックウザ。思えばSDGsとか言っている馬鹿が2030年にそれを覚えているかどうか的な意味で買ったようなのを思い出しました。

レックウザを買って大体10年ぐらいたった時SDGsって結局何だったんだみたいにならなければいいなと私は思っています。(まあ環境の事ばかり考えているようじゃね……って感じなんですけど)

そんなわけでこれにてpiraが如く横濱篇は終了となります。

最後までご覧いただきありがとうございました。

piraが如く横濱篇part7

前回↓

 

pira365.hatenablog.com

前回のあらすじ

晴天の中迎えた最終日。

歌舞伎町で夜を迎えたpiraは何故か横浜の伊勢佐木にて朝を迎える。

治安の悪さを懸念していたが、現実はそこまで酷くはなく横浜の街を散策することにした。

そして、みなとみらいにて「未来の乗り物」と出会ったり、港町横浜を満喫し

前日の雨でなかなか回れなかった中華街へ再び向かうことになった。

中華街

というわけで晴れの中華街を満喫することになり沢山写真を撮ったりなんかしながら回りました。

そして中華街に入ってすぐ肉まんを食べました。

前日は雨ということでそこまで食べ歩きはしませんでしたが、今回は晴れということで食べ歩きを主目的として活動を始め、前日の北京ダックの苦い経験からなるべく信頼できるところをということで入ったのが某チャンピオンの肉まんでした。

で、3個入りの小さい肉まんを買ったわけなんですけどこれがめっちゃ美味くてですね。私の中では中華街で食べたものの中で一番美味しかった気がします。

ただ、中華街から帰ってきた後に見た中華街に詳しい地元の方曰く、「もっと美味しい肉まん屋あるぞ」とのことなので、ここの肉まんが一番美味かったとか書く時点で素人だなとか思われてしまうんですよね。

だけどあくまで観光として(中華街を)楽しんだ私からしたらここの肉まんが美味かったというのは忘れられない経験であるので、まああまりにも酷い外れを経験したくないのであれば(肉まんなら)ここが安定するんじゃないでしょうかね?

その後は前日食べた北京ダックに今度は別のお店で再挑戦。やはり味は自分好みではなかったですが、2日目に食べたものに比べたらましでした。

また機会があったら美味い肉まんと共に北京ダックも店調べて買ってみるのもいいかもしれませんね。

その後は台湾のダージーパイというファミチキの3倍ぐらいあるでかい唐揚げを食べたりなんかしました。味はあまり悪くはなかったですね。

 

そんなわけで食べ歩きをしながら横浜の関帝廟へと向かいました。

ここは中華街の神社のようなもので、やはり春節ということもあってか大きな提灯などがぶら下がったりしていて、豪華で綺麗でしたね。

その後は横浜大世界でお土産を買って、そのお土産を近くのクロネコヤマトで配送してもらうことにしたんですけど。

その辺の通りを龍が如く7の動画かなんかで見たような気がしていて「なんかこの辺で春日が甘栗の押し売りをされていたような・・・」みたいな気分になって少々ニヤニヤしましたね。

そして中華街のGiGOで遊んだりしつつ

横浜に来たならばせっかくだから家系ラーメンでも食べようかということで中華街から横浜周辺へと戻ることにしました。

しかし、この家系ラーメンを食べた経験が帰りの新幹線において思わぬ事態を招くことになるとは私はまだ知りもしなかったのである・・・

次回、最終回です。

 

piraが如く横濱篇part6

前回↓

 

pira365.hatenablog.com

前回のあらすじ

雨降る中華街。この日春節を祝して祝舞遊行が行われた。

辰年ということもあり、ポケモンとコラボしたレックウザの龍舞はまさに圧巻だった。

その後、人生で初めて天下一品を食べ旅はいよいよ最終日を迎える。

伊勢佐木へ

最終日は晴れということで、予報では曇りか雨だったので3日目に晴れてくれて本当に良かったです。

そして晴れで迎えたこの日、朝から伊勢佐木へと向かいました。

伊勢佐木という地名は予告編でも名前を出したのですが、この伊勢佐木町というのが龍が如く7やロストジャッジメントの舞台となる伊勢佐木異人町の元ということでまずは伊勢佐木モールを歩きました。

しかし、正直なところ自分はロストジャッジメントの実況をそんなに見ていなかったこともあってキムタクが歩いているイメージがパッと思い浮かばなかったりしたのですが、じわじわと「確かにキムタクで見たことあるかも」となってきたし、ドンキがあるとやっぱ落ち着くなーとは思いました。

そして伊勢佐木周辺を少し散歩をしていますと、朝からゲーセンが開いていたりして音ゲーマーが鍵盤をしばいたりしている中、上の階にはアーケード版アイドルマスター*1があったりしてなかなか興味深いものを見させていただきましたね。

そしてこの伊勢佐木町は2024年で誕生から150年を迎えるということで、周辺の写真を撮ったり、伊勢佐木町ブルースの記念碑を撮ったりしていました。

桜木町

そして伊勢佐木町をしばらく散歩した後、私はみなとみらいを目指して行く(桜木町へ)ことにしました。

その道中で川を見たりなんかして・・・

龍が如く7における伊勢佐木町は予告編でも出てきたみたいにゴミの山だったりホームレスが住んでいたり・・・川は油が浮いていたり・・・

とまあとにかく汚い街として描かれていたりするのですが、現実の伊勢佐木町はそこまで汚いというわけではなかったし、ホームレスもいなかったしその筋のもんちぢめて「スジモン」もいませんでした。

ただ、通りにはソープランドがあったりパチンコ屋が多かったり、まあまあ治安的な意味で言うとおしゃれな横浜よりは低俗的なのかと思いました。

そして桜木町へと着きます。

自分の中で桜木町といえばやはり思い浮かべるのは山崎まさよしの「One more time, One more chance*2であって、伊勢佐木へ向かう朝の電車の中聴いたりなんかして物思いにふけったりしていました。

そしてみなとみらいへ来ると私はまず思わぬ光景を目にしました。

このみなとみらいを走るゴンドラは「YOKOHAMA AIR CABIN」といって2011年に運行開始した都市型循環式ロープウェイということで桜木町と新港を結ぶ空の乗り物として運行されています。

これを初めて見たとき私は「なんだこの未来の乗り物は!?」と驚きました。

乗ってみようかと少しは思ったのですが時間の都合上今回はやめました。

そしてみなとみらい周辺を歩き大観覧車を眺めたり

ランドマークタワーへと向かったりしました。

ランドマークタワー付近は港町ということで船をイメージした建築が多く、ランドマークタワーの地下へとつながる入り口は見ていてなんだかRPGにありそうな雰囲気を感じました。

そしてみなとみらい周辺をしばらく歩き、晴れということで2日目に続き中華街を広く散策することにしました。

part7に続く。

 

*1:アイドルマスター(AC版):2005年にリリース。のちに2007年にXbox360版が発売される。実は太鼓の達人にはAC版のリリース初期から本作品の楽曲が収録されており深いつながりがあったりする。

*2:One more time, One more chance:1997年にリリース。山崎まさよしの初主演映画「月とキャベツ」の主題歌として使用された。後に「君の名は。」等で知られる新海誠監督による短編映画「秒速5センチメートル」にて主題歌として使用された。