人生を変えたジャンルpart25:太鼓の達人編#3

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前回のまとめ

KAGEKIYO、さいたま2000等太鼓の達人の歴史を作った楽曲が多く追加された三代目を遊ぶ→三代目のみならず二代目も購入→四代目にてRidge Racerにハマる→五代目にてゴーゴータイム等現在の太鼓のシステムに近づく→六代目(ここ)

六代目

そして2005年の冬、わいわいハッピー六代目が発売されるわけなのだが、それ以前にも2005年にはPSPにて「太鼓の達人ぽ~たぶる」が発売され携帯機初の太鼓の達人が発売、そしてPS2にて「とびっきりアニメスペシャル」が発売される。

当時はDSもPSPも持っていないので太鼓の達人ぽ~たぶるに関しては1作目はやらなかった。

そしてとびっきりアニメスペシャルに関しては当時パワプロにハマっていたこともあってか購入することは無かった。

このアニメスペシャル、アニソンを中心とした収録楽曲なのだが太鼓の達人としては初めてアイドルマスターの楽曲を収録*1したり、ナムコオリジナル楽曲において水木一郎影山ヒロノブを起用するなど豪華な内容であった。そして本作の最難関は「快晴・上昇・ハレルーヤ」*2

所謂高速地帯と呼ばれる難所が存在しそのBPMは460。これは当時としては最速で通常時のBPMも230とのちに当時最難として登場するアレとほぼ同じぐらいの速さであった。

のちにこの高速地帯はEkiBEN2000にて引用されるわけでそっちの方が知名度は高いが遊戯王の曲が太鼓の達人に収録されるというだけでもかなり衝撃的だったのは当時感じていた。(他社が他社なだけあって)

そんなわけで本心ではこの「快晴・上昇・ハレルーヤ」がどれだけ難しいのか気になっていたりしたわけなのだが、やはりアニソンだけってのが食指が動かなかったのか、やることは無かった。

そんなわけで冬に六代目を購入し、本作にてPSPにて初めて登場した「よくでる2000」と出会ったり新たな2000シリーズである「タベルナ2000」と2つの2000シリーズに出会い正直この2000シリーズが2つというのはきつさみたいなものを感じていた。

本作の収録楽曲ではJ-POPにおいて「前略、道の上より」*3が星9ということもあってかなりやり込んでいた。

また、アニソンに関してはアニメスペシャルの発売もあってかED曲が多く収録される形となった。

そして本作からゲームミュージックがジャンルとして独立することになり

XEVIOUSゼビウスが好きということもあってよくやっていたし、バーニングフォースメドレーも好きだった。

そしてナムコオリジナルの「真・画竜点睛」は低速地帯の24分で苦戦していた覚えがある。

タベルナ2000についてはのちに本楽曲が様々な楽曲からの引用で構成されていることをしり、実はここで初めて「風雲!バチお先生」の65連打を知ったりさいたま2000の達人譜面引用部をBPMの遅さを利用してのちのぽ~たぶる2にてひたすらに練習するきっかけにもなったりした。あとはソウルキャリバーⅡとかメカデス。とか基本的に三代目で難しかったやつを徹底的に練習することの大事さや再認識させるきっかけになったともいえる。

七代目

そして2006年。PSPにて「太鼓の達人ぽ~たぶる2」が発売され、太鼓の達人がインフレするきっかけとなったあの楽曲が牙を剥くことになる。

それが「きたさいたま2000」である。

https://silentblue.remywiki.com/images/0/0c/Kita_Saitama_2000.png

222という速いBPMとゴーゴータイムの複雑な配置は当時のドンだーを苦しめ、太鼓の達人最難関楽曲として登場することになった。

これほどまでに難しくなった原因として当時太鼓チームに所属していたタカハシ氏によると「(PSPは)バチではなくボタンで遊ぶため、ボタン操作を想定して難しくした」ということで、譜面制作を担当したタカハシ氏でさえ、クリアできないとまで言われたほど。

そして初出時はフルコンはおろかクリアできた人も極少数と言われたぐらいでまさに「太鼓の達人のインフレの始まり」を象徴するかのような楽曲と言えるであろう。

そしてこのきたさいたま2000は太鼓の達人を代表する楽曲ともいえる立ち位置となり2014年に行われた「天下一音ゲ祭」において他社の音ゲー機種に移植されることとなった。

そんなやばい楽曲が七代目に収録されるとなったわけで、当時小学生の私は戦慄としていた。(一生クリアできない楽曲が出てきたぐらいには感じていた。)

そして満を持してPS2最後の太鼓の達人となるドカッ!と大盛り七代目が発売される。

本作には初の999コンボの楽曲として登場したJ-POPの紅、裏譜面が有名なやわらか戦車涼宮ハルヒの憂鬱のED曲「ハレ晴レユカイ」が収録されるなどなかなかに濃い収録楽曲であった。

そして「きたさいたま2000」とともに「十露盤2000」も収録され、音楽とは言い難い内容の曲は割と楽しめたと言える。

そして七代目最大のポイントは「わくわく冒険ランド」

これはストーリーモードみたいな感じのやつで太鼓の達人のステップアップとして楽しめる作品であった。

本モードのED楽曲として「伝説の祭り」が登場し、古のドンだーの中では神曲と称されることも高い。

そしてこのわくわく冒険ランド、上級者にはかなり癖のある難易度としてもしられ

「紅の最大コンボ数999」*4や「ハレ晴レユカイフルコンボ」などは小学生時代かなり苦しめられた。

そしてなんといってもわくわく冒険ランドを代表するものと言えば太鼓タワーである。

これは一定のミス回数以内に叩ききることでタワーを登りきるモードなのだが、その太鼓タワー9というのがのちにAC11以降裏譜面として登場するやわらか戦車であった。

今となっては体力譜面として知られるやわらか戦車(裏)なのだが、当時のドンだーはこれを5ミス以内で叩かされていたため小学生の私はまあ苦しんだ。

しかもこれが太鼓タワー9ということもあって100%クリアするにはこれを越えなければならないというだけあってまあ辛かった。(一応太鼓タワー9と10はクリアしてるが。)

音ゲー事情を知る

そんなわけで七代目にていよいよインフレ化が進んできたこともありドンだー達は攻略を進め、この頃から私はインターネットの掲示板等を見たりなんかもしながら色々と情報を集めていくことになる。

今となれば「太鼓の達人譜面とかwiki」なんかが話題だったりするがそれ以前から知名度の高かったサイトを良く閲覧していた。(名前出したら分かるぐらいには有名なところのはず)

そしてそこの掲示板にて他音ゲーの事情を知ることになる。

当時というのはbeatmaniaⅡDXにおいて「冥」*5が初めて登場したころ(2005年)であってその冥があまりにも難しいということで大きな話題を呼んでいた。

今思うときたさいたま2000の初出時も冥と同じぐらいの影響力はあったのかなと思う気がしている。

また、ポップンミュージックにおいて撫子ロックこと「凛として咲く花の如く」(2007年)が登場し、ポップンミュージックだけは名前は知っていただけあって和風ロックというジャンルに興味を持っていた。

そんなわけで当時自分は他機種の音ゲーには興味は持たなかった(しいて言うなら管理人さんが好きだったポップン以外)わけでなんとなく冥って曲が(音ゲーで一番)むずいとか太鼓チームのタカハシさんはポップンが好きなんだ(というかナムコ社員でありながらコナミ音ゲーが好きだったりする)ぐらいに考えていた。

まあそれからしばらくして私がコナミ音ゲーをやるようになるとは当時は知る由もなかった。

そんなわけでPS2での太鼓の達人は七代目で最後となるわけなのだが据え置きハードではWiiに移行する。

自分はSwitchを購入するまでは据え置きハードとは疎遠だったわけで据え置きハードでの太鼓の達人はこれが最後となるわけでその後はDSとPSPで遊ぶことになる。

次回に続く。

 

 

 

 

 

*1:実はこの当時はアイドルマスターもAC版がまだ稼働したてだったりする。

*2:快晴・上昇・ハレユーヤ:遊戯王デュエルモンスターズGXの第1期OP。太鼓の達人においては当時アニメジャンルにおいて最難曲とまで言われた。現在ではSwitchのドンだフルフェスティバルにおいてサブスク配信楽曲として遊ぶことができる。

*3:前略、道の上より:1984年にリリースされた一世風靡セピアによる楽曲。哀川翔が所属していたことでも知られる。

*4:紅のコンボ数は999なのでフルコンボが求められる

*5:冥:beatmaniaⅡDXにおける最難関楽曲。作曲者はdj TAKAの別名義である「Amuro」と太鼓の達人において世阿弥として知られることになるTatshの別名義「Killer」段位認定においては皆伝の最終楽曲として現在もなお君臨し続けている。