piraです。
地震からおよそ2週間が経ち、生活も普段と同じような感じに戻ってきたわけで
新年最初の二郎を食べ、何故か(正月勝ったはずなのに)パチンコで5万近く負け
共通テストとか言いながら受けた太鼓の達人とかいうクソゲーの段位道場にて連打に苦戦しながらも四段を取るとかいうクソみたいな生活をしていました。
でもまあ日常が戻ってきて良かったですね。
推し活を語る。
というわけで今回は自分にとっての推し活について語りたいなーと思います。
今回の地震の時に改めて自分と推し活の考え方について再認識したんですよね。
というのも東日本大震災があった時(というか2011年度)高校生という多感な時期であったこともあるかもしれないですが、音ゲーとファイアーエムブレムに支えられていたわけで。
推し活なんてワードが無い頃からそういった推しに支えらえて生きていたんですよね。(なんならニノのこと嫁って言っていましたし)
そして、推し活というのは当初はヘビーなオタク趣味であったわけなんですが、ここ最近になってライトなものになってきたように思えます。
それこそアニメで言えば【推しの子】が流行ったり、推しの炎上を題材とした「推し、燃ゆ」が芥川賞を取ったり、百均に行けばうちわ等の推し活グッズが売っていたりとどこもかしこも推し活推し活になってきています。
何故推し活は流行るのか
さて、そんな推し活が2020年代になって何故流行ってきたか、それは「コロナの影響」というのが大きいのではないかなと思っています。
コロナの影響で家にいることが多くなった時、やはり慣れない生活から不安を感じることが多かったような気がします。(私もそうでした。)
そして、だんだんとストレスが高まっていきそれをどうにかして解放していくことが必要だと思います。
その時に人間はやはり好きなものをみるorするに限ると思うんですよね。
そしてそれらを応援することや好きを語ることそれは心を満たし、辛い今を生きる原動力になると思います。
推し活は宗教に近い
そうしてみると推し活ってなんだか神にすがるかのようなものだと思っています。
これっていわば「宗教」に近いんですよね。
好きなものを布教するのもそうだし、○○で人生が変わったなんて言うのはまさに宗教にどっぷりはまっている人とかが言いそうですよね。
でも辛い現実から逃れる一つの手段としては推し活って大きな影響力はあるんですよね。
そして自分の場合だと、音ゲーとかをやると高校時代の事をなんとなく思い出せるんですよね。
今回の能登半島地震の際も久々にjubeatでEvansやりたいなーとか思って、そのきっかけが東日本大震災の時のことから青春時代を振り返りたくなって推しの事を考えて少しでも気を楽にしようと思ったからなんですよ。
だからこそ災害時になると推しのことを考えたくなるんですよね。(というか青春時代の事を振り返りたくなる。)
そんなわけで辛い時こそ推しの事を考えたくなるのですが、私にとって推し活とは災害等の辛い経験を風化させないためにあるもののように思っています。
今回の地震の際にも東日本大震災が時がたつにつれて我々から少しずつ風化してきているように感じ、津波の怖さなどが忘れ去られてしまったかのように感じました。
また、東日本大震災がもはや歴史の出来事となってきており、若い世代に伝えていく必要があるとも感じました。
そうした震災やコロナといった出来事を自分が風化させないためにできること、それは推し活とともに過去の記憶を呼び起こすことなんだろうなと思います。
だから自分は災害時にファイアーエムブレムがやりたくなるんだろうなと思いますし、今回jubeatがやりたくなったのもまさにそれなのかと。
そして推し活自体に意味を持たせることで生きる糧となるだけでなく、好きなもので繋がれることも楽しいですし、自分の記憶を思い起こさせるきっかけになればいいと思っています。
だからこそ自分は災害を風化させないために推し活を続けるでしょうし、人生を変えたジャンルで色々な人に布教しつつ災害の恐ろしさも伝えていくような存在になれたらと思っています。
予告
さて、今回のブログはこれで以上なのですが。一つお伝えしたいことがあります。
投稿を延期していました「わっしょい Direct」なのですが、この度投稿日を1月28日ごろとさせていただくことになりました。
今回はこの春にかけて投稿予定のものを私自ら直接お届けしていこうと思います。
お楽しみに。