シン・夏の終わり 第壱話

 

 

 

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それは、暦ではまだ6月だというのに、晩夏の訪れを感じさせるかのような酷く暑いある日の出来事であった――

仕事を終えた私は、まだ青さの残る夕暮れの空を見上げながら電車を待っていた。

20代後半ということもあり、若々しさはありながらも仕事の疲れを実感することは働き始めた時よりも強く感じるようになってきており、思わず「疲れた」と私は小言を漏らしていた。

電車を待っている間、これといってすることも無いのでスマホの中の漫画を読んだりゲームをしたりしつつ、それに飽きたら空を見上げる。

そんな風にして待ち時間を過ごすというのが仕事の終わりの日常であった。

思えばその日は、空はまだ明るいというのに一際輝く星が1つ彼方の方へ見えたような気がしたのを振り返る。

そしてそれは流星のように地上に接近しており、思わず願い事を言わなきゃと思ったのだが、咄嗟の出来事ゆえに見逃してしまったのを覚えている。

そんな遥か空の星を見上げつつ、電車がやってきた。

 

電車の中はいつもならばこれから帰宅する高校生や仕事終わりのサラリーマンなどで溢れかえってきてるのだが、この日は何故か異様なほど空席が目立っていた。

疑問を感じつつも私はスマホを見つめていると仕事終わりの疲れからか、眠気を酷く感じるようになってきた。

ただ思い返してみればこの日はやけに眠気を感じた日で、車内からは眠気を誘う甘い香りが充満していた。

そのせいか、普段ならば降車駅の二つ(悪ければ一つ)手前の駅で起きるはずの予定が、体感で一時間以上眠っていたように感じており、私は思わず寝過ごしてしまった。

 

piraが眠っている車内の後方にて、全身に黒いスーツを着た者が複数名並んで静かに話していた。

piraはぐっすりと眠っている。黒服の青年が体をゆするが反応は無い。

目的は達成された。男は確信し、電話を取り通話し始めた。

「こちら第3車両、piraの睡眠を確認しました。」睡眠を確認すると誰かに通話をする。

「了解。このまま終着駅まで行き、そこにて落ち合おう。」

「イエッサー」黒服の青年はそう言って電話を切った。

「フフフ……pira、君はしばらくは我らについてもらおう。我らの使命を果たすために……」黒服の青年は独り呟いた。

そして、終着駅にたどり着き黒服の青年はpiraを抱え、車へと乗せる。

piraはまだ目を覚ましてはいない。目を覚ましたらこの計画は終わる。

「いい寝顔だ……このまま眠ってもらおうかpira365……」

黒服の青年がそう呟いた後に後部座席に座っていた数名の黒子が、piraの腹筋めがけて嵐のようにぼこぼこにパンチを浴びせ続けた。

しかしそれでもpiraは目覚めない。piraは強烈な催眠状態に陥っていたのだ。

しばらくパンチを続けると、コロナ禍と酷暑によりマスクで息が塞がれていたpiraの様子が喘ぎ苦しんでいるかのように見えた。

おそらくこのまま殴り続ければ酸欠で死んでしまうだろう……

黒子はパンチの勢いを少し緩め車が到着するまで殴り続けた。

私は暑さの中で夢を見ていた。

それは将来の自分を映すかのようなこれからの人生にかかわることでもあった。

実は私は将来的に結婚をしたいと考えている。この夏から生活面においても大きな変化があり、安定した自立生活の中で自分の心の支えとなるパートナーを求めるということが必要であると考えたからだ。

そのために、婚活を始めようと考えているのであった。

しかし、私は発達障害を持っている。このことが大きな影響を与えるとpiraは考えていた。

理由として「障害者はふつうの人間ではない」と考える人が多いからだ。

日本社会はふつうを重んじる傾向がある。なにか他と違うと「ふつうにしろ」と言われ、多数派が支持するふつうに合わせることを強要される。

そして日本の社会システムはこの多数派によるふつうに合わせた設計となっており、障害者のようなマイノリティはしばしば社会のふつうから置いていかれた存在となる。

そして障害者というのは今もまだふつうから置いてけぼりにされるどころか嫌悪感を抱かれることがある。

実際に(過去の例なのだが)精神疾患を理由に結婚相談所を断られるといったケースがあったり、相手方の親族に精神疾患があることを伝えた時、相手方の両親から「子供は諦めたほうがいい」と言われ辛い気持ちになったということを先日テレビで耳にしている。

そして私自身発達障害のコミュニティ(発達界隈と呼ぶ)とその両方で板挟みになっており、狭間に生きていることによる辛さを感じている。

発達界隈において、発達障害者は日本社会において生きていても辛いだけなのだからいっそ死ぬべきである(安楽死の合法化を求める)という考えを持つ人が多く、発達障害の人をこれ以上増やさないため、そして相手に悪い影響を与えないためにも結婚をするべきではないとか子供を産むべきではないと考える人もいる。

私は婚活を進めていくうえで精神疾患に対する社会の偏見、発達界隈からの妬みその二つを大きな悩みとして抱えており、自分は結婚がしたいけれど果たしてそれは本当に良いことなのだろうかとつい周りを気にしてしまうのである。

そうした複雑な悩みを夢想しつつ、だんだんと目が覚めてきた。

そして目が覚めると私は、見知らぬ一室に閉じ込められていた。

 

つづく。

 

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