前回↓
人生を変えたジャンルpart9。
今回のテーマは「バリバラ」
NHKEテレにて毎週木曜20時から放送されている福祉番組だ。
この番組。福祉番組ではありながら何かと話題になることが多く、
読者の中には「24時間テレビ*1の裏で話題になったよね」と思う人も多いかもしれない。
今回はそんなバリバラについて例にならって出会いを踏まえつつ、私自身がバリバラという番組に対して思っていることを語っていこうと思う。
自身の障害について
まずバリバラについて語る前に一つ語っておきたいことがある。
それは私は「発達障害」という障害を持っているという事である。
私は小学生の頃に発達障害の一つ「アスペルガー症候群」の診断を受けている。(現在ではASD(自閉症スペクトラム障害)と診断される。)
発達障害とは一般的には脳機能の障害と言われており、コミュニケーションにおいて苦手が生じる障害である。そして、そのことがきっかけで社会生活においてしばしばトラブルを起こすきっかけにもなっていたりする。
私が会社で失敗したのもそれが一つの原因であったりする。(まあゲームのやりすぎという部分もあるのだが。)
そしてこれは精神的な障害であり、視覚障害や聴覚障害などといった身体障害とは違い目には見えない障害であり、なかなか気付きにくいものであり、理解されないままになることも多い。
そのこともあって私は長いこと障害の理解そして、障害と向き合うということでかなり苦労してきた。
そして、今では障害者雇用という道を選び、発達障害で仕事をするまでになっている。
バリバラとの出会い
発達障害についてこの辺で置いといて、いつものようにバリバラとの出会いについて語っていく。
私がバリバラという番組を初めて見たのは2016年の24時間テレビの裏で放送された「【生放送】 検証!「障害者×感動」の方程式」という感動ポルノ*2批判をしたことで話題となった回なのだが、
実は私はそれ以前にバリバラという番組をある企画にて知っていた。
それは、2010年末に放送されたスペシャル番組「笑っていいかも?」というものだった。
フジテレビにて放送されていた「笑っていいとも!」のような番組タイトルだが、
その中で「SHOW-1グランプリ」という障害者による「M-1グランプリ」*3が行われ、そこで脳性まひの人が優勝したということが話題になった。
そしてこのことは脳性まひをネタにしたということで賛否があった。
というのも「障害を笑いにする」というと「障害者差別だ」と声を上げる人も多い。
確かに障害があることを理由に人格等を他者が否定するのであれば障害者差別であるといえるし、障害者を見て馬鹿にするような行為というのは差別的であるとは言えよう。
しかし、この番組は障害者自らが障害を笑いに変えていたのである。
そのことに対して「障害者は可哀想」だとか「障害を笑うのはどうなの?」といった価値観による壁を認識させたのであった。
私はこの番組があったことをネットで知った時は、やや否定的ではあった。
だが、今になって思えば「障害者でもそれを本気でお笑いに変えようとする人がいる」と考え、彼らのネタを理解しようと思った。
とはいえ、障害をネタにすることに対して心のどこかではちょっと気まずくなる部分というのがあったりする。(それが私がSHOW-1グランプリを見る度に思うことだったりする。)
感動ポルノ批判
それから6年後。例の24時間テレビの裏を見るわけなのだが、私がこの番組を見たのはほんのたまたまであった。
その当時「NHKが24時間テレビの裏で批判する。」ということは知っていたが、如何せん福祉番組というものを見る気が自分には起きなかったのである。
というのもその当時の私(発達障害をカミングアウトしていない)にとって障害者が出る番組と言うのは心のどこかで「見てはいけない」という印象が強かったのだ。
これは障害者に対して「見てはいけない、触れてはいけないもの」という認識があり、そういった番組を見ることは(本来は良い事なのだけれど)色々と反発が起こる可能性があったのだ。(実際、障害者に見向きをしないような親世代は福祉番組を見ることを嫌う人も中にはいたりする。)
そういうのもあり、たまたまチャンネルを回してみたその番組は当時の私にとって「NHKが日テレに喧嘩売ってる」という風に見えそのまま30分見た。
そして「バリバラはすごい。」という感想を持ちつつも、私はバリバラを(毎週放送していることを知りつつも)見なかった。
おそらく「障害者は見てはいけない、触れてはいけない」という考えが、福祉への取っつきにくさを与えているのだろうと思う。
障害者という立場になって知った世界
それから一年後。私は会社をクビになり、発達障害で生きるという道を選んだ。
そしてその夏の終わり。24時間テレビの裏でバリバラが放送された。
その時に私はある疑問を抱えることになった。
それは「24時間テレビの時だけバリバラを持ち上げるというのは、結果的に24時間テレビの時だけ障害者について考えていることと変わらないのではないか?」ということだった。
改めて考えてみると日本において障害者がこれほどまでに注目されるのはおそらく24時間テレビの影響力が大きいと思われる。
そして、24時間テレビという番組に対してやれ「感動ポルノ」だの「偽善」だのと声を上げる人もいるが、ほとんどの場合批判する人と言うのもなんとなく「24時間テレビが嫌いだから」という理由で批判している人が多いと私は思ったのである。
そしてそういった人達こそが「24時間テレビの裏番組であるバリバラを持ち上げる」という光景を見て「君達も普段障害者の事なんか考えていないじゃないか」と思い、発達障害で生きる道を選ばずそっちの側にいた私は、認識を改め毎週見ることにしようと考えるのであった。
そしてバリバラを毎週見るようになるわけなのだが、やはり福祉番組としては異色な部分多い。(24時間テレビ批判ももちろんそうなのだが、福祉番組の重たいイメージとは違うややバラエティ色の強い企画が多い。)
とはいっても、この番組を通じて色々な障害を知ることができた。
(場面緘黙症*4やトゥレット症候群*5など身体ではない障害の回なんかが印象深い。)
また、「障害者と戦争」の回とか「障害者とキャッシュレス」の回(キャッシュレスの回については以前ブログ取り上げたことがある。)など障害者が社会とどう関わって生活をしているのかという回はなかなかに興味深かった。
毎週見て欲しい
そして、私が切実に思うのは(何度かブログやnoteで言っているのだが)「毎週見て欲しい」ということである。
というのも今回私が編集部と相談しながらもこのバリバラ編を書いたのには理由がある。
それは(noteでも言ったのだが)「君たちは普段バリバラを見ているのか?」ということだ。
4月の23日、30日に「バリバラ桜を見る会」という回が放送された。
「桜を見る会」*6を題材に2019年のマイノリティの功績を振り返るという回だったのだが、
題材が題材なだけに炎上してしまった。
そしてその炎上騒ぎを見て「君達は障害者を利用していないか?」と疑問に思ったのである。
というのも「普段見ていないであろう」人達がバリバラを賛否しているように思えたのである。(まあ番組内容も正直賛否あるものだったと思うが)
また、再放送中止に対して「圧力がかかった」という人達も納得がいかず、「毎週見ていないくせに何を言っているんだ」と憤怒の感情しか出てこないような感想しか出てこなかった。
それと同時に私は「24時間テレビの裏番組としてバリバラが見られているんじゃないか」という疑問がやはり浮かんではいた。
その結果、「バリバラを褒めている人達も結局は障害者を利用している」と感じるようになった。
私としては「感動ポルノが嫌い」だと思うのは勝手だが、それに乗じてバリバラやハートネットを見た方が良いと言うのであれば、普段から見て欲しいと強く思う。
まさかとは言わないが「君たちは24時間テレビが嫌いだからバリバラやハートネットを持ち上げ、名前を出しているのではないか?」と問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。
そうだとするのであれば私のように認識を改めて欲しい。
さいごに
毎週見ろとは言っても、障害者に目を向けるというのは実際心のどこかで複雑な感情を抱くかもしれない。
桜を見る会の第2部において番組のMCを務める玉木幸則さんも言っていたのだが人間誰しも心のどこかに「内なる優生思想」を持っていて、自分より劣っている人間に対して蔑んだりしてしまうものである。
もし障害者に対して本当に理解しようとするのであれば、まずは福祉に少しでもいいから興味を持ち障害者の気持ちになって考えることが大事なのではないだろうか。
*1:24時間テレビ:毎年夏の終わりに日本テレビにて放送されている24時間の生放送チャリティー番組。障害者や震災の被災者を題材として感動ドラマが放送されることが多く、その内容から賛否が分かれたりしている。
*2:感動ポルノ:障害者や社会的弱者が苦難を乗り越える姿を感動を呼び起こすかのように描写したもの。ステラ・ヤング氏がTEDカンファレンスにて提唱した。
*3:M-1グランプリ:毎年年末に行われる漫才の頂点を決める大会。昨年は「ミルクボーイ」がコーンフレークを題材にした漫才で優勝し話題に。
*4:場面緘黙症:家庭などと言った日常での会話は出来るが、学校や職場などと言った場面では会話ができなくなる障害。
*5:トゥレット症候群:不随意で身体が動いたり、大声を発してしまう障害。チック症。
*6:桜を見る会:毎年春に内閣総理大臣が主催する公的行事。公職選挙法違反や予算、招待者名簿の破棄などが問題視されコロナ関係無しに中止になった。