シン・夏の終わり あとがき(前編)

あとがきということで今回は挨拶は省略します。

 

まず改めて、あの2日間にブログとスペースに来てくださった方々ありがとうございました。

ブログのPV数は2日合計で100を越え、スペース参加者はあの2時間で11人という結果になりました。

この結果を受けて今年はそこそこの反響があったのではないかと思いました。

今回はあとがきということであの2日間の総括と今回の企画と構想の話、そして今後の話をしていきます。

企画と構想

今年の夏の終わりについて考えたとき「どうしても昨年のリベンジがしたい」という思いはありました。

まず、前提として「ブログを書いたところで無駄」というのは昨年から思っていたことなので今年も24時間テレビとバリバラの裏でスペースやるぐらいのことは軽く考えていた程度でした。

しかし、昨年のスペース0人の印象が強すぎて自分はどうせ空気なんだから誰も俺の意見なんか聞いてくれないとは思っていました。

このことを考え出したのは実はシン・ウルトラマンを見る以前の出来事で、その頃から「ネット民って普段テレビなんか見ないくせにやたらテレビの事批判するよな」と放送マニア*1の方々のツイートを見ながら思うことがあり、その頃からネット民を諭したいみたいな感情で私の意見を聴いてくださいみたいな意識から4桁フォロワーいるけどスペース0人と言い出しました。

それからシン・ウルトラマンが公開されて、あの作品に対して私の頭の中にウルトラマン拉致*2の印象が強く残ってしまったわけなんですけど今回のように怪文書を書こうという考えにたどり着くのは6月の頭ぐらいになってからでした。

この頃にバリバラが今回の夏の終わりのテーマに関連した意見フォームを立ち上げるんですよね。それが「障害者の夏の風物詩に関して取り上げる特番を夏に計画中」ということでした。これを見た瞬間「ああ、今年もやるのか。」と濃厚ではないにしろほぼ確定したような感じになって真っ先に引用RTさせていただきました。

ちなみに私は意見フォームに何か意見を送ろうとは思ったのですが、その時は締め切られてしまっていた(意見フォームに関するツイートが遠くに行って見当たらなかった。)ため、送ることはできませんでした。

よく言われるのですがブログやSNSに書くより意見フォームに書いた方がましだと思うし、私自身そうしたかったのですがいかんせん余裕がなかったという事でもう少し早く動けばよかったかなと思います。

そして私は「24時間テレビVSバリバラがもはや夏の風物詩になっているんじゃないか」と考え、そこからさらに「それに対して私が怒るというのもある意味風物詩になっている」そう考えました。

そうとなれば「やってやろうじゃねえかこの野郎」ってことでブログを書くことにしました。

ということでこの頃から頭の中でシン・ウルトラマンを見たときに感じた感情というのが現在の自分と照らし合わせていました。(そこからシン・ウルトラマンを題材に怪文書を書くことになるわけなのです。)

シン・ウルトラマンではウルトラマンの変身者である主人公の神永新二がヒロインの浅見弘子から人間なのか外星人なのかと聞かれ、「それに対して両方だ。あえて狭間にいるからこそ見える世界がある。」と答えるシーンがありました。

そこから人間が好きになったのかとか言われたりするわけなのですが、当時の自分というのが今後の事を考えた際に自分は人間と発達障害の人、その狭間で生きている感じというものがありました。

なんというかSNS上にいる発達障害の人というのが(障害故に)生きるのが辛いとばかり感じており、ここ最近では安楽死の合法化を望んだり、発達障害の遺伝子はこの世から無くなるべきであると考える当事者が増えてきて、能力のあるごく一部の障害者や私のように社会的に自立している発達障害者に対して「彼らは障害者ではない」と考える意見の方が強調されるようになってきたと感じたからです。

そのような意見を耳にしたとき、私はSNS上において発達障害の人として生きるのはもう無理だと思いました。

現に今私は普段はゲームやギャンブルの話がメインですし、それにこれから今後の人生の事を考えて婚活などと言い出すと社会的に自立して余裕ができてしまっているわけで。

そうした明るいものばかりではない発達界隈の方々からしたらそこには社会的に障害があるわけではないと考えてよいのかもしれないですし。そうした話を受けて鬱になったとか射幸心が煽られたとか考えるのも仕方がないことなのかもしれません。(まあ嫉妬なんでしょうけど。)

最終話にて私が「さようなら、すべての発達障害者――」と述べたのも、新たなステップへと進むにつれて自分はSNS上の発達障害者や発達障害とはいよいよ遠い存在へとなっていくことを感じており、孤独で一人が好きだった自分がようやく社会や人間を好きになったといえるのかと思ったからです。

しかしとはいっても発達障害とは死ぬまで向き合っていくもの。今後もどこかで悩みは生まれると思います。

その時はその時で自分の心を大事にしつつたまには発達界隈の方々の辛く苦しい感情にも寄り添う必要はあると思います。

ただ寄り添いすぎてこっちまで辛い思いはしないよう折り合いをつけて付き合っていくことが大事だと思いますけど。

 

 

後編に続きます。

 

*1:放送マニア:テレビ放送をこよなく愛する方々。テレビ番組のみならず放送局、アナウンサー、スポンサー、CMなどテレビへの興味の幅は広い。ちなみに彼らはオタクではなくマニアであると称する方が多い。

*2:ウルトラマン拉致:とあるAV男優がウルトラマンを題材にブログにて書いた怪文書