完璧で究極の最強で無敵の欲張りな勇者の物語

piraです。

先週の27時間テレビどうでしたか?

私としては「帰ってきた」という印象が強く、見ていてよかったと思いましたし、梅雨も明け夏が本格的に始まると実感しました。

そして土曜にはエヴァで3万勝ち、昨年夏の雪辱を晴らしたような形になりました。

改めてMCの千鳥、かまいたち、ダイアンの皆さん。本当にお疲れさまでした。

本題

さて、今週は先週のオープニングでもちょっと触れていたDQ11の話をします。

本日7月29日は3DS/PS4版のDQ11の発売日なわけなのですが、今年の7月に3DS版のDQ11を全クリし、非常に感慨深い作品だったと思いました。

そしてDQ11を遊んでいて、発売当時の事や物語における主人公の成長とかに感情移入してしまい、自分が「ずっと、ドラクエがやりたかった」と言っていたことなども鑑み本作がやって良かったと強く感じ思いを綴りたいとまで思い至りました。

そして、タイトルにもあるように自分は「完璧で究極の最強で無敵の欲張りな勇者」なのかとふと思うまでになったのです。(なんか痛々しいけれど)

そんなわけで、DQ11をやった感想について語っていきたいなーと思います。

発売当時

DQ11が発売された2017年7月。私は会社をクビになりました。

というのも発達障害という病気があることが会社にばれてしまったことと勤務態度が非常に悪かったことが原因というわけで、発達障害者である自分はいてはいけない存在なのではないかとまで思っていたこともあります。

そして発達障害という病気を隠して働いていた自分はいわば「悪魔の子」でも見るかの目で当時の上司や社長からはきつい目で見られていたように思います。(自分が勝手にそう思っているだけなのかもしれないけど。)

DQ11では主人公である勇者は悪魔の子としてデルカダール王国から追われる身になるわけなのですが、自分が勇者であるということは16歳になって親から伝えられることになります。

これは私から見てDQ3のような生まれながらにしての勇者ではなく、「俺勇者として世界を救う使命持っているんだ」って気づきから始まってそこから勇者は悪者みたいに言われていくわけなんですよ。

おそらくその時の主人公って「なんで自分なんかが勇者になったんだろう」って思うことはあったのかもしれません。だって急に親から「お前世界を救う勇者なんだよ。」って言われて「今まで普通に生きてきたのに?」って思っても仕方ないだろうし、その勇者が世間じゃ悪者扱いされたら「なりたくて勇者になったわけじゃないのに」と感じても仕方がないかと。

これは発達障害で生活していくことになった当時の自分もそう感じる部分はあって、「発達障害は病気じゃなくて障害だから治らない」とか差別や偏見とかを感じるたびに「なりたくて障害者になったわけじゃないのに」と思うところはありました。

勇者とは

そんな世間から悪者扱いされ追われる身となったDQ11の勇者なのですが、勇者の事をよく知る仲間たちとともに魔王を倒す使命の下、旅に出ます。

そんな中、主人公は旅の途中で大切な仲間を失い、絶望に瀕してしまいます。

もうすべてを諦めて魔の手に屈してしまいかねないそんな時、一つの台詞が勇気を与えてくれました。

前を向きなさい。振り返ってはなりません。勇者とは……。

……勇者とは! 最後までけっして……諦めない者の事です!

私はそのセリフを聞くまで勇者に対して漠然としたイメージを持っていました。

勇者って言われても「勇気のある者って?」って感じでプレイヤーである自分には勇気なんてそんなに持ち合わせていないですし。

だけど私にとってこの言葉は今までの人生を振り返った時に「今の自分がいるのは諦めるという選択肢を選んでこなかったからだ」と思いました。

例えば就労移行支援事業所にいたとき、通所から半年して私は福祉的就労として今のままなんとなくで通所していては一般就労は不可能とまで言われ就労継続支援B型(作業所)へ行くことを勧められたこともありました。

それが悪いというわけではないのですが、もしそこへ行ってしまったら自分は社会復帰の機会を失いかねなかったことと今のような生活を得ることは不可能だったように思います。

私はこの諦めの選択肢を選ばないように必死になりました。

目の前に課題に向き合う事と、逃げないこと。それらに立ち向かうことには(今思えば)勇気が求められる行動だったように思います。

私としては目の前のことに普通に取り組んでいただけに思うのですがその当たり前をこなすことが勇者たる行動だったのかと思いました。

欲張りな勇者

そしてこの「勇者=決して諦めない者」という言葉が自分にとって大きな意味を成しているきっかけはやはりゲームがやりたくて貪欲に生きていたことが大きな要因だと思います。

思えばDQ11が出た当時ってSwitchの発売年というのもあってスプラトゥーン*12もDQ11の1週間前に発売されたり、秋にはFE無双の発売も控えていたこともあってどうしても早くSwitchが欲しいという気持ちが強かったんですよね。

その当時の事を振り返るとあまりにも欲張りすぎたと思っています。

しかし、そんな欲張りな気持ちというのが諦めない原動力になったんだと思います。

現に私はDQ11をクリアして、ブレワイとスプラトゥーン3を買ってしまった(あまりやる機会は無いけれど)こともあり、いつかきっと全部手に入れるそんな夢がいよいよ実現してしまったような感触があります。

けれど、昔のあれも欲しいこれも欲しいというわがままなものではなく、それを叶えるだけの力を自分が持っているからこそ叶えられたこともあり、そんな私は欲張りな勇者というより完璧で究極の最強で無敵の欲張りな勇者というのがふさわしいのかもしれないのでしょう。

会社を辞め誰もが認めてくれなかったからこうはならなかったでしょうし、誰もが信じ崇めてくれるからこそ今の自分があって、そんな私はまさに諦めない心を持つ完璧で究極の最強で無敵の欲張りな勇者と言っても間違いないのだろうと今までの経験を振り返り涙を流してしまいました。

ずっと、ドラクエがやりたかった。

そして無事EDを迎え改めて「ずっと、ドラクエがやりたかった。」という気持ちが思い返されました。

DQ11はこれまでのDQシリーズの原点回帰に近い内容だったこともあり、ファンへのサービス精神も強いゲームだったように思えます。

私にとって久しぶりのドラクエだったこともあり、純粋に楽しんでいたあの頃を思い出すような作品だったように思えます。

そしてドラクエをやるに至って「ずっと、ドラクエがやりたかった。」という気持ちと下積み時代辛いときも諦めそうなときもドラクエをやれば元気になれたことを思い出させてくれて本当にドラクエをやってよかったと思わされてしまいました。

どんなに辛いときも諦めそうなときもドラクエというのは諦めない心が勇気を生む。そんなことを私に教えてくれて、それがリアルでの生活にも影響を及ぼし人生というロールプレイングの中で自分は時に勇者になりうるのだと思いました。

本当にDQ11は私にとって人生経験を振り返らせた作品であり、諦めない心を教えてくれた最高のゲームであったと思いました。

さいごに

ずっと、ドラクエがやりたかった。

もう1つの夢だった。

下積み時代、辛いときも諦めそうなときも

ドラクエをやればすぐ元気になれた。

そんな俺がたどり着いた、最高のドラクエ

ドラゴンクエスト11 過ぎ去りし時を求めて

*1:スプラトゥーンイカとヒト、2つの形態を持つ生物「インクリング」を操り、インクを塗り合って陣地を奪いあうTPS。初代は2015年にWiiUで発売された。