pira、推し活を語る。

piraです。

地震からおよそ2週間が経ち、生活も普段と同じような感じに戻ってきたわけで

新年最初の二郎を食べ、何故か(正月勝ったはずなのに)パチンコで5万近く負け

共通テストとか言いながら受けた太鼓の達人とかいうクソゲーの段位道場にて連打に苦戦しながらも四段を取るとかいうクソみたいな生活をしていました。

でもまあ日常が戻ってきて良かったですね。

推し活を語る。

というわけで今回は自分にとっての推し活について語りたいなーと思います。

今回の地震の時に改めて自分と推し活の考え方について再認識したんですよね。

というのも東日本大震災があった時(というか2011年度)高校生という多感な時期であったこともあるかもしれないですが、音ゲーファイアーエムブレムに支えられていたわけで。

推し活なんてワードが無い頃からそういった推しに支えらえて生きていたんですよね。(なんならニノのこと嫁って言っていましたし)

そして、推し活というのは当初はヘビーなオタク趣味であったわけなんですが、ここ最近になってライトなものになってきたように思えます。

それこそアニメで言えば【推しの子】が流行ったり、推しの炎上を題材とした「推し、燃ゆ」が芥川賞を取ったり、百均に行けばうちわ等の推し活グッズが売っていたりとどこもかしこも推し活推し活になってきています。

何故推し活は流行るのか

さて、そんな推し活が2020年代になって何故流行ってきたか、それは「コロナの影響」というのが大きいのではないかなと思っています。

コロナの影響で家にいることが多くなった時、やはり慣れない生活から不安を感じることが多かったような気がします。(私もそうでした。)

そして、だんだんとストレスが高まっていきそれをどうにかして解放していくことが必要だと思います。

その時に人間はやはり好きなものをみるorするに限ると思うんですよね。

そしてそれらを応援することや好きを語ることそれは心を満たし、辛い今を生きる原動力になると思います。

推し活は宗教に近い

そうしてみると推し活ってなんだか神にすがるかのようなものだと思っています。

これっていわば「宗教」に近いんですよね。

好きなものを布教するのもそうだし、○○で人生が変わったなんて言うのはまさに宗教にどっぷりはまっている人とかが言いそうですよね。

でも辛い現実から逃れる一つの手段としては推し活って大きな影響力はあるんですよね。

そして自分の場合だと、音ゲーとかをやると高校時代の事をなんとなく思い出せるんですよね。

今回の能登半島地震の際も久々にjubeatでEvansやりたいなーとか思って、そのきっかけが東日本大震災の時のことから青春時代を振り返りたくなって推しの事を考えて少しでも気を楽にしようと思ったからなんですよ。

だからこそ災害時になると推しのことを考えたくなるんですよね。(というか青春時代の事を振り返りたくなる。)

そんなわけで辛い時こそ推しの事を考えたくなるのですが、私にとって推し活とは災害等の辛い経験を風化させないためにあるもののように思っています。

今回の地震の際にも東日本大震災が時がたつにつれて我々から少しずつ風化してきているように感じ、津波の怖さなどが忘れ去られてしまったかのように感じました。

また、東日本大震災がもはや歴史の出来事となってきており、若い世代に伝えていく必要があるとも感じました。

そうした震災やコロナといった出来事を自分が風化させないためにできること、それは推し活とともに過去の記憶を呼び起こすことなんだろうなと思います。

だから自分は災害時にファイアーエムブレムがやりたくなるんだろうなと思いますし、今回jubeatがやりたくなったのもまさにそれなのかと。

そして推し活自体に意味を持たせることで生きる糧となるだけでなく、好きなもので繋がれることも楽しいですし、自分の記憶を思い起こさせるきっかけになればいいと思っています。

だからこそ自分は災害を風化させないために推し活を続けるでしょうし、人生を変えたジャンルで色々な人に布教しつつ災害の恐ろしさも伝えていくような存在になれたらと思っています。

予告

さて、今回のブログはこれで以上なのですが。一つお伝えしたいことがあります。

投稿を延期していました「わっしょい Direct」なのですが、この度投稿日を1月28日ごろとさせていただくことになりました。

今回はこの春にかけて投稿予定のものを私自ら直接お届けしていこうと思います。

お楽しみに。

人生を変えたジャンルpart24:タイトルホルダー編

前回↓

 

pira365.hatenablog.com

はじめに

今回の人生を変えたジャンルに入る前に一つお話をしたいことがある。

2024年1月1日、石川県能登地方を震源とした大きな地震(令和6年能登半島地震)が発生した。

能登では震度7を観測。新潟では震度5強を観測した。

そして大津波警報津波警報が発令され、私が住む地域も避難対象に指定された。

この地震を経験した際、私は「東日本大震災」の時のことをすぐさま思い出した。

あの時もかなり大きな地震が来た。そして今回は感覚としてそれ以上の強い地震が来た。

そして津波警報の発令、避難の呼びかけなど、そうした大きな災害の当事者になってしまったということに対しかなりパニック状態になっていた。

実際、自分自身も推しの事を考える余裕など全くなく、「あの時、ファイアーエムブレムで人生が変わっただろ」などと思っていた自分にはそんなことをする気力すらない状態であった。

今後も災害には十分警戒しつつ、安全に暮らせるような社会が訪れることを心より祈りたい。

本編

さて、今回紹介するのは昨年引退した競走馬「タイトルホルダー」である。

db.netkeiba.com

ドゥラメンテ*1メーヴェ母父Motivatorという決定を持ち、名前の由来は父がクラシックの2冠馬であること、母父、二代母父もダービー馬であることから「選手権保持者」を意味するタイトルホルダーという名を付けられた。

このタイトルホルダーという馬は私の好きな馬の一頭であり、初めて推し馬の領域に達した一頭であるともいえる。

現在の私のX(旧Twitter)のアイコンにもこのタイトルホルダーのぬいぐるみを利用させていただいている。

今回は、タイトルホルダーとの出会い、タイトルホルダーという名を背負った者たち、タイトルホルダーを好きになったきっかけ、そして推しへと至った経緯などをなるべく明るく紹介していく。

辛い時だからこそ推しプレゼンだけは楽しくやりたい。そんなわけではじめていこう。

タイトルホルダーとの出会い

私とタイトルホルダーとの出会いはおそらく皐月賞だと思われる。

思われると書いたのは2021年の春ごろにウマ娘の影響でリアル競馬を追うようになったのがソダシの桜花賞であったため、その翌週に当たる皐月賞も自然と見ているであろうことからである。

ただこの時は競走馬についてはあまり知識もないため勝ち馬であるエフフォーリアの名前すら覚えられないし、なんか無敗で滅茶苦茶強いんだなぐらいにしか思っていなかったような気がする。(前年のコントレイルが無敗の三冠馬だっただけあって今年も無敗の皐月賞馬誕生みたいな煽りはあった気がする。)

そしてタイトルホルダーを競走馬として認識するのは日本ダービーからである。

この頃からようやくエフフォーリアの事も競走馬として認識するようになり、エフフォーリアの二冠に期待が高まる中、このタイトルホルダーという馬を見たときに第一印象として「名前が強そう」と思った。

「タイトルホルダー」と言葉だけを聞くとプロレスやボクシングといった格闘技の世界チャンピオンや将棋の藤井聡太のような数多くのタイトルを持つ強者を(競馬を知らなくても)名前から想像できるだろう。

競馬を知らない人に(同世代馬の)エフフォーリアやシャフリヤールと言ったところでその馬の強さを認識できるかと言われたらおそらくタイトルホルダーという名前の響きにはやや低く感じてしまうと私は思う。

しかし、タイトルホルダーは日本ダービーでは6着という結果で終わってしまう。

そしてタイトルホルダーは続く秋のセントライト記念でも13着と名前とは裏腹に芳しいとは言えない成績を残すことになった。

その名を背負う者たち

そんな強そうな名前に聞こえるタイトルホルダーだが、実は過去にタイトルホルダーという名を持った競走馬は地方馬も含め2頭存在した。(なおばんえい競馬にも1頭存在した。)

それが95年生まれのタイトスポットを父に持つ盛岡競馬所属の地方馬と、2007年生まれのスペシャルウィーク*2を父に持つ中央競馬所属馬の2頭だ。

しかし、95年生まれのタイトルホルダーは成績は8勝2敗。

2007年生まれのタイトルホルダーは2戦0勝2着1回とどちらも良い成績は残せずに競走生活を終えてしまった。

そして2021年世代のタイトルホルダーはクラシック戦線においては同世代馬エフフォーリアの存在もあってか、皐月賞日本ダービー共に8番人気とあまり支持を得るまでは至らなかった。

2021年菊花賞

だがそんなタイトルホルダーが次に向かった先は菊花賞

最も強い馬が勝つとまで言われる芝3000mの長距離レースであった。

この年の菊花賞は世代最強とまで言われたエフフォーリアが天皇賞秋を目指すこと、ダービー馬のシャフリヤールは秋の神戸新聞杯での敗戦から菊花賞を回避し、ジャパンカップへ。

同世代G1馬、ダノンザキッド、グレナディアガーズ、シュネルマイスターらはそれぞれ短距離マイル路線へと進むことになり、G1馬不在のレースとなった。

そのためこのレースは下馬評においては「どの馬が勝ってもおかしくはない」とまで思い、予想は波乱を極めた。

そんな中私がタイトルホルダーを推すに至ったのは一つの動画からである。

それが、今もなお続くお笑い芸人霜降り明星粗品氏による「生涯収支マイナス1億円君」である。

youtu.be

マイ億君記念すべき最初の動画となったこの動画にて本命に選ばれたのがタイトルホルダーだった。

本人は「生涯収支マイナス1億円君なので来ません」だの「消去法で使ってください」などと本馬を危険馬として指名。

後に「粗品の呪い」とまで言われるまでに本命馬が来ないことが続いた。

しかし、この菊花賞予想を見て私は「もしかしたらタイトルホルダーはあるのではないか?」と思った。

それは単純に名前が強そうという理由で選んだのもあった。

そして日曜の昼ぐらいまで悩みに悩み、最終的に1番人気にまで支持されたレッドジェネシス単勝オッズ3.9倍)とタイトルホルダー(単勝オッズ8.0倍)の2点で勝負をした。

そしてレース開始、タイトルホルダーは3000mを逃げに逃げた。

この逃げで自身のペースを作る走りというのがタイトルホルダーの特徴ともいえ、1998年の菊花賞にて見せたセイウンスカイ以来の逃げ勝ち*3を演じてみせ、G1タイトルを掴むに至った。

そしてこの勝ちが私にとってギャンブルで初めて大勝ちをした瞬間でもあった。

(細かく言うと2000円が8000円になった。)

それもあってかその後の週末は焼き肉でも食べるということになり、酒池肉林を満喫した。(のちに大失態を招くことになるのだが)

そしてこの予想においてマイ億君こと粗品は的中したかというと「そもそも買っていなかった」ことが判明する。

youtu.be

 

そしてこれ以降「買わんかったら来るし、買ったら来ません」というフレーズが生まれ、ボケェイと言い続ける日々が続くことになるのである。

やがて推し馬へ

その後、タイトルホルダーは続く有馬記念にて不利な外枠も相まって5着となるも翌年から活躍を見せる。

怪我の影響もあり2022年は3月から始動し、G2日経賞にて1着。

その後も天皇賞春、宝塚記念を勝利し、G1タイトルを積み重ねこの頃には(タイトルホルダーは)世代最強とまで言われるようになる。

そして宝塚記念を制したタイトルホルダーは凱旋門賞のタイトルを目標に駒を進めることになる。

この時タイトルホルダーは世界レーティング4位タイにまで支持され、この年のダービー馬ドウデュースやディープボンド、ステイフーリッシュら多くの日本馬の参戦もあり、史上初の日本馬による凱旋門賞制覇に期待が高まった。

そしてレース当日、タイトルホルダーは先頭に立ち最後までペースを作るも大雨による重馬場の影響もあり、11着の敗戦。

続く有馬記念もイクイノックスの猛追に敗れ9着で2022年を終える。

そして2023年日経賞を2年連続で制覇。これがタイトルホルダーだと見せつけんばかりの走りを見せ天皇賞春へと向かう。

日経賞に続き2連覇へ大きな期待が高まったこともありタイトルホルダーは1番人気(単勝オッズ1.7倍)に支持されたのだが、4コーナーにて競走中止となる。

そしてこのレースが私にとってタイトルホルダーが改めて推し馬であることを認識させることになった。

レース当日、私は新潟競馬場にてそのレースを見ていたのだが競走中止になった後少しして京都記念にて引退したエフフォーリアのことを思い出した。

このエフフォーリアの主戦騎手である横山武史はタイトルホルダーの主戦騎手を務めていた横山和生の弟にあたり、別れ際に際してものすごく泣いていたことが印象に残っておりそんな引退から間もない出来事というのもあり、ちょうどレースが終わって帰ろうとしていた際、おじいちゃんが「横山の兄弟、大丈夫かねぇ・・・」などと口にしているのを耳にしてはだんだんと涙が抑えきれなくなり、その日は泣きながら新潟競馬場を後にした。

人生、変えてくれ

天皇賞春での怪我の影響もありタイトルホルダーは宝塚記念を回避し秋の初戦をオールカマーにて迎えることになる。そしてそのオールカマーにて2着と復活の兆しを見せ

続くジャパンカップではイクイノックスやドウデュースといった22世代馬や三冠牝馬リバティアイランドなど豪華メンバーが集うレースとなり、レベルの違いを感じつつも5着。タイトルホルダーはいよいよ世代の波に飲まれていくことになる。

そしてタイトルホルダーは有馬記念を最後に引退を発表。

有馬記念当日には引退式も行われるということで、タイトルホルダーの有終の美を見届けるべく、必死に応援した。

そしてこの日はちょうどM-1グランプリが2006年以来17年ぶりにクリスマスイブの開催ということもあり有馬記念と同日に行われることもあった。

そしてM-1がやたらと「人生、変えてくれ」*4と煽るせいもあって私は最後のタイトルホルダーの走りに人生変えてくれとまで思った。

そんなわけで本命はタイトルホルダーとなった。正直ドウデュースとも悩んだのだが、ここはタイトルホルダーを信じるしかないと思った。

そして迎えた有馬記念。タイトルホルダーは後続を大きく突き放しレースを進めた。

そして自身のペースに持っていきながら最後の直線。

この時はタイトルホルダーを必死に応援するしかなく、枯れるまで応援した。

人生、変えてくれと本気で思った。

結果は3着。最後まで粘りを見せての3着となった。

そして(勝ちはしなかったものの)人生を変えてくれたかのような名勝負にもなり、本当に良いレースだったと思った。

まとめ

タイトルホルダー編、いかがだっただろうか。

タイトルホルダーに限らず昨年は最強馬イクイノックスの引退からエフフォーリア、ソダシ、パンサラッサ、ウインマリリンなど多くの馬が引退することとなった。

引退というのはファンにとって辛い出来事ではあると思うが、私たちはそうした名馬の名前や活躍を語り継いでいくことが大事であろう。

タイトルホルダーも種牡馬として生活することとなり、近い将来タイトルホルダーの子供がレースを走ることが期待される。

そうした際、思い出してほしい。

その名の下に、様々なタイトルを掴み取った名馬がいたことを。

その名は、タイトルホルダー

 

*1:ドゥラメンテ:2012年に誕生。2015年に皐月賞日本ダービーを制したが、翌年宝塚記念にて競走能力を喪失する怪我を負い引退。その後は種牡馬としてタイトルホルダーや三冠牝馬リバティアイランドを輩出するも9歳という若さでこの世を去った。同世代馬にはキタサンブラックがいる。

*2:スペシャルウィーク:1995年生まれの競走馬。競馬界のレジェンド騎手武豊が初めて日本ダービーを勝った馬としても知られ、ウマ娘プリティーダービーにおいても看板的存在のウマ娘の一頭となっている。

*3:なお、その時の鞍上は横山武史の父横山典弘である。

*4:人生、変えてくれ:2021年のM-1グランプリにして使用されたキャッチコピー。のちに2022年、2023年のポスターにも使用されている。

令和6年能登半島地震

piraです。

昨日1日に石川県能登震源とした最大震度7地震が発生しました。

私の住んでいる地域も震度5強を観測し、津波警報が発令され

被災時にはパニック状態にまでなっていました。

それから一夜明けある程度落ち着き、

現在では普段通りの生活ができている状態であります。

この記事では当日何をしていたかや被災時の状況について色々とお話します。

被災前

まず、被災前の状況として前日の私の状態からお話をさせていただくと

昨年の30日ごろから私は風邪を引いていまして、当初の予定では31日~2日にかけて実家に帰ろうと思っていました。

ですが、風邪を引いてしまったため実家に帰ることができなくなり、自分の家で一人過ごすことになりました。

31日の夜ぐらいにはある程度回復し、その日の夜は逃走中を見ながら桃鉄をし23時ぐらいには寝ました。(生逃走中が始まる前だったような)

そして翌日朝体温を測ると平熱になり、「よし完全に回復したな。」と思って白山神社へ初詣に行き、その後パチンコで勝ち「今年はいいことがありそうだ」と思いながらそのお金でくら寿司で昼食。

そして帰りの時間に少し余裕があったこともありぽんしゅ館で利き酒を、そして15時ぐらいに家に帰ってきました。

地震発生

そして家に帰ってからNetflixにて溜まっているアニメを見ながら桃鉄をやっていると長期的な揺れを感じることがありました。

この時はテレビは付けていないので急いでNHKへとチャンネルを回した頃には緊急地震速報が発令された状態でありそこからすぐに強い地震がやってきました。

そして非常に長くそして強く揺れました。自分が経験した地震東日本大震災も含め)よりもかなり強い地震であったように感じました。

感想として「めっちゃ揺れている。なんだこれ。」という感情が強く怖くなってしまいました。

そして揺れが収まってから津波警報が発令され新潟県も対象地域に指定されたことからテレビの放送を確認しひたすらに大きな声で「高いところへ逃げること!」というので「自分が今いる場所は高いところだから家にとどまっても良いよね」という考えと「避難所へ逃げなきゃいけないのか」という考えが合わさり合いどうしたらいいのか分からない状態になりパニック状態に陥っていました。

そして緊急地震速報の音も不安を煽ってくるし、津波が来るかもしれないという恐怖でもうSNSなんか開いている暇もなく、まずは家族にLINEをしました。

そして家族の安否や自身の安否を確認してからX(旧Twitter)を開き、真っ先にフォロワーさんからリプライが飛んできていまして。

ちょっとパニックになりつつも無事を呟き、フォロワーさんにも安否を伝えました。

その後はX(旧Twitter)で被災状況について確認しつつ、テレビを見ながらご飯を食べ、風呂に入りそしてスマホでラジオを聞きながら寝ました。

そして23時の震度7の発表(のちに誤報であった)にて目が覚め、しばらく寝れない状態が続きテレビ界隈の方が阿鼻叫喚しながらスペースをしているのを聞き、寝たのは2時ぐらいになりました。

そして2日、この日の朝になるとテレビ番組も通常編成に戻り箱根駅伝も放送されたりで実家に帰り箱根駅伝を見ていました。

そして祖父母の家にも家族全員で行き、正月の挨拶と共に親族の無事を確認できました。

そして15時ぐらいに戻り、このブログを書いているといった状態です。

まとめ

まず今回の地震に関して思ったのは正月早々こんなことになるとはといったことですね。

被災者だけでなく、新春特番を計画していたテレビ局とかも本当に大変でしょうし良い正月を過ごすのが難しくなってしまいました。

そして震度7という数字。これはやはり東日本大震災中越地震を思い出させます。

そして津波警報が発令され、避難対象に指定されたことこれは初めての出来事ということもあり、一人でいたこともあってかパニック状態になってしまいました。

そして何もする気が起きなくなるというのを感じました。(ファイアーエムブレムなんかやっている場合じゃないなと)

今後も余震等には十分に警戒しつつ、一刻も早い復興を祈りながら生活をしていきたいです。

 

新年の挨拶2024

あけましておめでとうございます。

piraです。

早速なのですが、年末に風邪を引いてしまいまして

2023年は正月と年末に風邪を引くという最悪なはじまりと終わりを迎えてしまうことになってしまいました。

さて、2024年は20代最後の年ということで緊張感を持って生きていこうと思います。

今年のテーマ

さて、今年のテーマ発表させていただきましょうか。

今年のテーマは「わっしょい!」です。

昨年からわっしょいわっしょい言っているわけなんですけれど、今回何故今年のテーマになったのかというと、20代最後の年ということで一度piraであるということを意識した1年にしていこうと思います。

その際に「piraであるということ」を考えた際真っ先に思い浮かんだのが「わっしょい」ということでした。

ということで原点に立ち返り、わっしょいという気持ちを大事にしつつ1年を迎えていこうと思います。

二代目pira先生誕生

そして、現在X(旧Twitter)のメインアカウントとして使用している「duelpira」を正式にメインアカウントとして運用することにしました。

名前はpira先生(二代目)です。

初代のアカウントの時とほぼ同じペース、同じ内容で投稿しようと思っているのでここから4桁フォロワーを目指して頑張っていこうと思います。

pira、人生最後の〇〇

そして、20代最後の年ということで「pira、人生最後の〇〇」というのをやっていこうと思います。(というかすでにやっているんですけれどね。)

これは20代最後アピールみたいなことをしようと思った際に「過度に(20代最後)アピールするのは痛いよね?」ということで、私自身が20代最後アピールをする奴は池か沼に住んでいそうと思う節を感じているからです。

そしてそれでも20代最後というアピールをしたいのであれば、人生最後ぐらいの意識を持った方がいいだろうということで「pira、人生最後の〇〇」ということでポストをさせていただいているわけです。

ちなみにこのブログは「pira、人生最後の正月」ということになります。

だからこそ20代最後の年は人生最後というぐらいの思いで生きていくつもりなのでうるさかったら無視してください。所詮私は池か沼に生息していそうな人種なので。

わっしょいDirectをやります。

そして、新年最初の投稿は「わっしょい Direct」になります。

今回は冬から春にかけて投稿予定のものを私自ら直接お届けしようと思います。

今回は前回よりも投稿予定のものが多くなったり、今後の自分の活動予定なんかも色々お話できるかと思いますので2024年も私のブログに期待していただければと思います。

わっしょいDirectは1月8日に投稿予定です。

絵は描くのか?

そしてこれは余談になるんですけれど、piraさんは絵を描くのか?と毎年この時期になると聞かれるかもしれないんですが、うーんどうなんですかね?

なんか絵を描く余裕が無くなったような気がします。

ブレワイも2023年内にクリアできなかったし、年末はずっとグラディウスⅢやったり年明けはしばらくニノ・フィナーレとか言いながら烈火の剣やっているつもりなので、絵はもう描かないんじゃないかと思います。

ただ、急に描きたいという感情が生まれることもあるのでその時は大目に見てやってください。

なるべく自分がやりたいことをやっていけるよう精進したいです。(あとパチンコする日数は極力減らしていきたいです。)

まとめ

というわけで最悪な年末から無事回復し2024年を迎えたわけなのですが、

今年は20代最後の年ということで若いうちにやれることはやりたいと思っています。

そして、わっしょい!な1年になることを心より祈っています。

 

 

一年の振り返り2023後編

前回↓

 

pira365.hatenablog.com

後編ということで、下半期の振り返りをしていきます。

7~9月

7月。風花無双全ルートクリアということでさすがにもうpira先生と言われるのはあまりなーということでこのあたりからpiraさんだったりpira先生だったりするようになります。

まあ、なんというかめんどくさいからどっちでもいいし、なんならこのままpira先生でもいいんじゃないか?とか思ったりもしているのでどっちでもって感じですかね。

まあ風花雪月と風花無双が終わったということでpira先生と呼ばれる機会も減るかなと私は思っています。

そして人生を変えたジャンルが2年ぶりに復活。

この頃に封印の剣烈火の剣が配信されて、再びやろうと思い至ってまどマギ編が投稿されるんですね。

ワルプルギスの廻天が来年冬ということで見に行けたら行きたいです。(それにしてもスマスロのまどマギがクソだったのは残念)

そしてテレビ番組の切り抜きが問題になったのもこの頃でしたか。

あの後その人はX(旧Twitter)アカウントを復活させ、切り抜き動画の投稿は無くなったんですけれど、いつも通り活動していて何だったのかなといった感じです。

ただ、切り抜き動画の投稿頻度によってはファスト映画*1を批判できないよね?と感じたし、TBS側も水曜日のダウンタウンにて違法アップロードに啓発しておきながら何かしらの対応をしていないのはどうなのかな?とは思う部分もあったりしました。*2

そしてTwitterがXになったのもこの頃からでしたね。このブログでは今後もX(旧Twitter)表記を使っていこうと思っているのでよろしくお願いします。

そしてDQ11クリアした勢いでブログを書いたらなんかYOASOBIの曲を予言したみたいになりました。

 

pira365.hatenablog.com

 

当初「勇者ってなんかアイドルみたいじゃない?」って書いたら(YOASOBIが)勇者って曲書いてたと知ってどうしたらいいのか分かんなくなってしまいました。

でもここから諦めるのをやめましょうが生まれたりなんというか会社やめてから今に至るまでの自分の人生そのものが勇者って感じだし、pira先生とか名乗りだした今の自分はなんか先生と言われても悪くは無いと思うし、発達障害者としての人生経験で言うとフリーレンみたいな立ち位置だったりするのかもしれないんですよね。(多分。)

そう思うとアイドルと勇者を生み出したYOASOBIはこの1年で夢中になれたのかと思いました。

そして8月。今年は24時間テレビ裏のバリバラ放送が無かったみたいですね。

ぶっちゃけ予想外だったんですけれど、果たしてこれでいいのか?という気持ちもありやはり毎年あの時期だけバリバラを話題にするってのも「君たちは障害者のことそんな考えていないよね?」と言われても仕方ないかなと思ったりもしています。

とはいえ、24時間テレビの寄付金着服の件などを見るともうなんというか募金してる奴の方が偉いとか言いづらくなってきたし24時間テレビという番組自体あり方を考えていかなければいけない気がするんですよね。

実際私の福祉担当者も24時間テレビに対して否定派な人は多かったりするのでみんなあの番組には疑問を持っているんでしょうね。

まあ闇雲に批判するのもどうかなとは常々思ってはいるんですけれど、もう言い逃れはできないのかなと思います。

ただバリバラ側は障害者やマイノリティにもっと目を向けてほしいという目的を達成できたのかと言われたら微妙だし自分は番組自体クソだと思ってるし、24時間テレビに喧嘩を売らなくなってからはもう見限ったって感じで見る機会は減っています。(毎週金曜日にテレビにへばりついて実況するのもどうかと思うし。)

そして24時間テレビが終わり競馬場から帰ってきてコロナになり、コロナになった日にX(旧Twitter)が凍結しました。

いつも言っているんですけれどイーロンはさっさと3600人のフォロワーを返してください!あと紋章士の指輪も返せ。

正直本当に辛いのでこれからは(凍結に気を付けつつ)まったりと過ごしていきたいと思っています。

9月~12月

そして9月になり人生を変えたジャンル:五等分の花嫁編。

これは8月末に書くと言ってコロナになって延期してなんやかんややーめたしたみたいな気分になっていましたね。

なんというかしかケン*3みたいな空気だったんですよ。ごとよめキッズうぜえ・・・とか思いながら書けばいいんでしょ書けばってな勢いで書いていた印象です。

確かごとよめを読み終えたのが3か月前ぐらいの出来事だったのもあって色々と飛んでいたところもあったけれど中野二乃について語れたのは良かったと思います。

そして誕生日にブログのタイトルが「piraのわっしょい日記!」に変わります。

ダサいけれど良いというのが今のトレンドだと思います。変にかっこつけたら逆に引かれるのでわっしょい日記ぐらいがちょうどいいかなと。

そしてバリバラとかいうクソが賃貸契約の話をしていたので自分の時の話を。

ぶっちゃけて言うと不動産ガチャって障害者に限らず結構あって最近だとオーイシマサヨシ*4さんが新居が決まらないって話をピザラジでしていたのを聞いたりしました。

自分の場合は割とすんなりと決まったのでそれはそれでよかったのかもしれないですね。

10月。初の試みとして「わっしょい Direct」を始めました。

自分の中で、年末が近づくにつれ「今年も俺的流行語大賞やって一年振り返って終わりか~」と感じつつあり、そうしたマンネリを防ぐために今後のコンテンツ展開をニンダイ風に発表するということをやってみようと思って始めたのがきっかけでした。

自分でもブログ継続のモチベーションになっている部分や今後のわしょダイにて何を発表しようかを考えるのも楽しみになってきたりしているので、今後も不定期にわっしょい Directはやっていこうかなと思います。

そしてこのダイレクト終了後に(実はこれが言ってみたかっただけです。)人生を変えたジャンル:グラディウスⅢ編が投稿されます。

キューブラッシュについて書いたら100個じゃなくて99個だぞって指摘が来たりグラⅢのガチプレイヤーが来たりと結構これ投稿してよかったのかな?とか思ったりもしています。

それこそにわかの熱語りが痛いみたいなこと言ってくる人がそろそろ現れるだろうなと思っているのであくまでもこの企画は沼にはめるための布教活動みたいなもんだと捉えてくれればいいと思ってやっています。

ちなみに来年も人生を変えたジャンルは投稿予定なので楽しみにしていてください。

そして11月。府中編(全6回)。改めて東京競馬場は広かったですね。ただ歌舞伎町タワーにてミコシスのDJフアに会えなかったのは残念でしたね。

今年は俺的流行語大賞をこんにちわっしょーい!が取ったというのもあるので近いうちにリベンジはしたいと思っています。

まとめ

とまあこんな1年だったんですけれど去年が短期集中連載が多かった分、今年はほぼ毎週書いていたって感じで良かったです。

婚活の方も、色々と予定が合わずうまくできなかった部分もありましたね。

来年こそは積極的になっていこうかなと思います。(日増していることも多いだろうし)

あと2024年は20代最後の年、人生最後ぐらいの思いで生きていこうかなと思います。

それでは来年は良い一年になりますように。2023年の投稿はこれにて終了となります。ありがとうございました。

 

*1:ファスト映画:映画の映像を無断で利用し映画内容を10分程度にまとめた動画。ファスト映画を作成し、動画投稿サイトやSNS上にアップロードすることは著作権違反である。

*2:ちなみに現在THE TIME,では公式X(旧Twitter)アカウントにて動画が投稿されたり、放送内容が投稿されたりしている。

*3:しかケン:とある配信者のスマブラでVIP行くという発言における「しかもケンでな」を略したもの。

*4:オーイシマサヨシ:アニソンシンガー。代表曲は「君じゃなきゃダメみたい」や「UNION」など。

一年の振り返り2023前編

こんにちわっしょーい!どうもpiraでーす。

2023年も終わりということで

この1年に書いたブログを振り返っていこうと思います。

今年は43件と去年よりも週刊連載で書いていたように思える部分と、月島編と府中編で結構多くなったかな?という印象ですね。

それでは振り返りましょう。

1~3月

まず1月。今年のテーマは「最強」ということで競馬アカウントを設立したりして最強の馬券予想師を目指そうとしたりしました。

結果的に回収率は80%ぐらいとこれまでとあまり変わらなかったですね。

あと今後アカウントやnoteをどうしていこうか悩んでいます。あのアカウントが凍結後のメインアカウントになっているし、ソダシは引退するし、このアカウントを作ろうと思ったきっかけの例のVTuberの正体がバ〇ビーだってこと最近知ったし・・・

ただ、来年以降も競馬予想は続けていくつもりではありますので温かい目で見てやってくださいといった感じですかね。

あとこの人毎年正月に絵を描くとか言っているくせしてなんもしていないですね。もういい加減絵を描くのやめようかなとか思っています。

そして新年早々風邪を引きました。コロナやインフルじゃなかっただけましなんですけれど、年末年始にずっと桃鉄していたのが当たってしまったみたいな感じでした。

風邪を引いたのも人生で久々だし仕事始めから迷惑をかけるしでまあ辛かったです。

まあこのブログを書いたときには無事回復し、翌日から風花無双を始めることになります。

上半期は風花無双とエンゲージがメインでしたかね。あとはDQ11

そして7月になってからはずっとブレワイで、もうさっさとガノン倒せよって感じなんですけれど時間が無く進められるときに進めているといった感じです。

そして「レンタル障がい者」とか言う人が話題になったりもしました。

障害者の介助者割引をサービスとして提供することに対して議論があり、私自身も否定的ではあるのですが改めてこの件について考えると「介助者って家族だけのものなのか?」と思う部分もあり、そもそも困っている人を介助するのが一番でしょ?と思うところもあるので介助者ってのが家族や支援者だけではないことも我々は考えていく必要があると思いました。

ただこれを発案した人の態度が炎上商法に近くて考えには同意できてもなんか腑に落ちない気分だったりします。(何が「お前も障害者にならないか?」だよ。立場を考えろ。)

2月。Nintendo SwitchにGBとGBAが配信されます。

これは今でも覚えていてGBA発表時に通勤時にも関わらず脳汁がどぴゅどぴゅ出てましたね。

しかも封印烈火の配信もこの時点で決まるということでありがとうとしか言いようが無かったです。

そして京都記念でのエフフォーリアの引退。3歳時の強さを知っていたからこそ復活を夢見た今年最初のレースにてこのような結果になってしまって辛かったです。

あと横山武史騎手が涙を流しながら別れを告げたのも印象深かったですね。

3月。月島編(全8回)。

2泊3日ということもあって結構いろいろなところへ巡りましたね。(途中暇になって新宿で麻雀ばかりしていたりしたけど。)

行きたかったところもある程度回れたのでしばらく東京はいいやと思っていたのですが、まさか府中に行くとは思ってもいませんでした。

4月。WBC優勝もあって、テレビがまた盛り上がったような印象はあったんですけれどちょっとした炎上ですぐ叩かれてて嫌でしたね。

まあテレビというコンテンツ自体がもうオワコンなのは皆さん承知なんでしょうけれどやはりメディアの中ですぐやり玉に挙げられるのはどうかなとは思ったりもしますね。

で、弱者男性の話をするとか言いながら努力した方がいいよみたいな話を書いていました。

あとこの頃はギャンブルが滅茶苦茶うまかったみたいですね。パチンコではほとんど負けていなかった気がします。

そして岸田首相が漁港で狙われたのもこの頃でしたか。今となっては随分と昔の出来事のように思えてしまいます。

で、本題に戻ると障害者雇用Googleに入った人がなんか炎上したらしいですね。弱者男性の意見を聞いていると努力するのって悪いことなのかな?とか思ってしまいます。

でも「く、苦しい・・・」とだけ叫んでいても現状って変わらないと思うんですよ。だから今を変えたいと思ったら内側から変えるべきだと私は思っています。

そして烈火の剣20周年。改めておめでとうございます。

特別賞の時にも言ったんですけれど今年は烈火の剣関連で色々と供給も多くて本当にうれしかったです。(まあFEHやっていないから深くは語らないでおくけど。)

ニノ・フィナーレがなんなのか、ようやく皆さんにお伝え出来る時が来て良かった気がします。

5月。呼び出し先生タナカの話。そしてここからこんにちわっしょーい!と言い始めます。

確かワンチャン逆転ネバーギブアップが発表された頃ぐらいにこれ書いたような気がしますね。

この頃からだんだんと全盛期のぴらの事を思い出していってヘキサゴンの羞恥心に再びはまり始めたり、太鼓の達人をガチでやろうとか思ったり、ドラクエやりたいなーとか思ったりしました。

そしてみそきんが発売されたのもこの頃だった気がしますね。

1回目にみそきんとみそきんメシの両方を手に入れることができ、個人的にメシの方が美味かった気がします。

また食べたいと思ったので今後もみそきんを再販してほしいところではあります。

そしてDQ11プレイ開始。風花無双と並行してやることになります。

そして日本ダービー。スキルヴィングの死。なんというか安楽死ではなくレース後に倒れたというのが衝撃的でした。(SNS上に流れてきたというのも辛かった。)

自分自身がこれについて書いたのは自分が書いた予想が見返したときに本当に辛かったというのがあったからです。

そして府中に行くことを強めたわけなのですが、もう一つ「こんにちわっしょーい!」という言葉の重さもここに生まれたと思っています。

流行語大賞に選んだもう一つの理由にこのダービーの際に発した「こんにちわっしょーい!」が私にとってスキルヴィングを想起させてくれる言葉にもなっていると思っていて。

この言葉がある限り(スキルヴィングは)心の中で生き続けてくれると思っています。

6月。実写版「リトルマーメイド」公開ということで反ポリコレ派の自分が障害者の俳優について語ってみました。

ここ最近バリバラとかいうゴミが障害者のお笑い賞レースをやってみたみたいなのをやっていたんですけれど。まあ正直評価しづらい。

M-1出場経験のある芸人さんもいたみたいですが、障害者は相変わらずあるあるネタか自虐ネタしかできないのかと思ってしまったので、一般賞レースに出て対等にやり合えるようにならないと心身ともに健康じゃないと俳優になれない理由は別の理由があると思った方がいいと思います。

そして27時間テレビまで1か月ということでぶっちゃけ不安だらけだったんですけれど個人的にかなり成功したように思えます。

それこそほいけんた*1の功績はでかいし、マラソン企画も批判はありつつも話題にはなりましたし不安とは裏腹にって感じでしたかね。

千鳥の鬼レンチャンも27時間テレビ以降視聴者をそこそこ獲得できたみたいですし、やって良かったと思いました。

 

というわけで上半期はここまで。

後編へと続きます。

*1:千鳥の鬼レンチャンにおいてT.M.Revolutionの「HIGH PRESSURE」のカラダぐぅなどの独特の歌い方が大きな話題を呼んだ。

pira、府中に行くpart6(最終回)

前回↓

 

pira365.hatenablog.com

秋葉原

東京競馬場を出た私は、秋葉原へと向かいました。

秋葉原へ向かった理由として前回の月島編において行けなかったレトロゲームが置いてあるGiGo秋葉原3号館に行きたかったからです。

というわけでGiGoへ向かうと、なんだか初めて秋葉原に来た時に来た旧セガと同じだったような気がしており「思えばここでピンボールやったような」とか感じながら、6階へと向かいました。

6階に来ると所謂古い大型筐体が数多く置いてあり、旧セガということもあってアフターバーナーⅡとかスペースハリアーとか色々と置いてあったわけなのですが、

私が一番に楽しんだのはアウトランでした。

このアウトランはムービング筐体のアウトランで、

以前月島編にてミカドに行ったときにメタルホークのムービング筐体を紹介した際、ムービング筐体としてのアウトランをやってみたかったということで、令和の時代に動いているのもかなり貴重な筐体で遊ばせていただきました。

というわけでアウトランを遊ぶわけなのですが、メタルホーク程の激しい揺れは無かったものの、今となっては座席が動く筐体という珍しさに良いものを触らせてもらったと感じました。(あとMAGICAL SOUND SHOWERは名曲ですね。)

その後操縦席を手動で動かすよく分からないヘリのゲーム(名前は忘れたけどセガだったはず。)とか太鼓の達人で曲だけ知っているレイブレーサーをやってみたりなんかして、うろうろ回っていました。

おそらくムービング筐体のはずのスーパーハングオンも置いてあったんですけど、調整中ということで遊べませんでした。

そして5階へおりると、初代ビートマニア(通称5鍵)やクラッキンDJとかといった懐かしの音ゲーやそれに交じって置いてあるリフレクビートなんかをみたりして、古きものを今でも遊べるようGiGoさんの手で調整していてよい場所だと思いました。

それからは秋葉原で少し太鼓の達人をやったりなんかして、ウマ娘のフィギュアを眺めたり五等分の花嫁を見つけたりしつつ、東京駅周辺へと戻っていきます。

旅の終わり

東京駅周辺にはいつも帰る1時間ぐらい前にはいるので結構暇することが多く、月島編の時みたいにポケモンセンタートウキョーDXに寄ったりなんかしました。

そこではマイピカチュウという「自分だけのピカチュウを探そう!」というコンセプトのもと様々なデザインのピカチュウが置いてあり、欲しいな~とは思ったのですが置くスペースが無いと思ったので買うのは諦めました。

その後は東京駅のキャラクターストリートを回りながら

仮面ライダーガッチャードを眺めたり

烈火の剣を遊ぶ際のお供として月島編の時と同様にムーミンのバターサンドを買ったりしながら、東京駅のおスタバにてお抹茶ティーラテを飲んだりしつつカフェインの過剰摂取による反動もありつつクッタクタになりながら帰ってきました。

今回の旅について

というわけでこれにて府中編は終わりなるわけなのですが、感想として

東京競馬場は広かった。」もうこれに尽きますよ。

さすがに1日ですべて回れないと思ったのは正解だったのですが、競馬博物館もかなり魅力的な展示が多く、できることなら2階のところじっくり回りたかったと思いました。

そして歌舞伎町タワーで太鼓の達人の曲聴きたかったんですけれど、いつやっているのか分からなかったのもあって、有識者の情報を基にまた近いうちにリベンジしようかなとか思っています。(なんだろね、2月にラブライブのイベントがあるんだって?私は知らないけど。)

せっかく今年こんにちわっしょーい!が俺的流行語大賞を取ったわけですし、願うことなら歌舞伎町タワーで再びわっしょいしたいですね。

というわけでまた近いうちに東京にお邪魔するかもしれないですが、その時もこれまで以上にわっしょいできる旅になるといいと思っています。

というわけで「pira、府中に行く」はこれにて終了です。ありがとうございました。